スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ラドミル・エリシュカ、大阪フィルを振る

ラドミル・エリシュカが大阪フィルに客演した演奏会を聴いてきた。これは前日に続く二日目の公演だった。

●大阪フィルハーモニー交響楽団~第421回定期演奏会

日時:2008年9月19日(金) 19:00開演

指 揮:ラドミル・エリシュカ
独 唱:
 慶児道代(S)
 ヤナ・シコロヴァー(A)
 ヴァレンティン・プラット(T)
 マルチン・グルバル(B)
独 奏:室住素子(Og)
合 唱:大阪フィルハーモニー合唱団
合唱指揮:三浦宣明

曲目:
ドヴォジャーク/序曲「自然の王国で」 作品91
モーツァルト/交響曲 第38番 ニ長調 K.504 「プラハ」
ヤナーチェク/グラゴール・ミサ

ブルックナー好きの私は、ご多分に漏れず朝比奈ファンなので、これまで大阪フィルの録音には親しんできたが、実演に接するのは今回が初めて。札響以外を振るエリシュカに接するのも初めてだった。今回、エリシュカと大フィルは初顔合わせで、全てチェコに縁のある極渋のプログラム。グラゴール・ミサが西日本で演奏されたことは、ほとんどないだろう。札幌から大阪はあまりに遠く、直前まで迷っていたが、矢張りこれを聴かずに死ねるかと、台風接近を横目で睨みつつ札幌から飛んで来た。

まずマエストロが足を引き摺りながらステージに現れたのには驚いた。この夏、車から降りる際、少々足を挫いたと聞いていたが何だか痛々しい。椅子に座り、ときどき立ち上がりながらの指揮で、初めての聴衆には足元も覚束ない年寄りと思われたかもしれない。しかし、これは全くの誤解で、後ほどお会いしたが4月と変らず溌溂として若々しかった。大した怪我ではなさそうなので次の来日までには回復しているだろう。(そういえば昨年、札響に客演した83歳のネヴィル・マリナーも足を引き摺っていた。てっきり齢のせいかと思ったら関係者によると「テニスで挫いた」とのこと。指揮者というのは精神的にも肉体的にも元気な種族だ。)

ドヴォジャークの序曲「自然の王国で」は演奏される機会こそ少ないが、楽想が豊かな佳曲である。マエストロは細かな指示を与えてオケの響きをチェコ風に味付け、解釈は細部に至るまで腑に落ちるもの。一見、何気ないがこのシックリ感は本当に得がたいものだ。ただ1ステのせいかリズムが若干重く感じられる。マエストロのドヴォジャークは先日発売されたCDを聴いて頂ければ特長が良くわかるのだが、本来もっとしなやかなのだ。初めて実演に接した大フィルは、剛直、悪く言えば少々鈍重な印象。いまさら朝比奈のイメージにばかり関連付けるのは短絡的かもしれないが、弦などボヘミアの旋律をもう少し伸びやかに歌って欲しく、これが気心知れた札響ならばと思うところも多々あった。もちろん十分水準以上の演奏ではあるのだが。

マエストロのモーツァルトは札響、伊藤恵とのピアノコンチェルトもそうだったが、素うどんの美味さみたいなところがある。ピリオド演奏のようにスパイシーに味付けるのではなく、出汁の旨さと麺の食感のみで勝負するような。今時、モーツァルトにしては編成も大きく古風な演奏スタイルかもしれない。しかし、何気なく流れる中にはオケの響きのニュアンスが光る。

しかし「プラハ」の前半ではこの味が十分発揮されていないように思えた。やはりリズムが少々硬く、もどかしさが残る。これは大フィルの個性に加え、足の故障も影響しているのではと、もやもやした思いを抱きながら聴いていた。このままでは大阪の聴衆に「座って指揮する古風な老巨匠」(ベームのような)と誤解されるのではと危惧していたところ、2楽章の途中から突如、別のオケのように響きが変ったのには驚いた。スイッチ・オン! 一体、何が起こったのだろう。リズムは俄然軽やかになり、指揮者のタクトに柔軟に反応している。まるで渋滞していた指揮者と楽員間の回線を突然増速したかのよう。あとは何の不安もなく指揮者のペース。快速な3楽章は、この曲が「フィガロの結婚」の成功を踏まえて書かれたことを改めて思い起こさせる。フィガロの機知、ケルビーノの悪戯心、伯爵夫人の憂愁がサラリと駆け抜けていく。マエストロはステージマナーのとおり茶目っ気たっぷりの可愛い方なのだが(失礼!)、このモーツァルトには、そんな個性がよく表れていたように思う。

そして、いよいよグラゴール・ミサ。率直に言って、いくらチェコ人とはいえ、まだ知名度の低い指揮者が初対面のオケとこの難曲を取り上げること自体、無茶な冒険である。気心通じた札響とでさえ「タラス・ブーリバ」には散々手こずったではないか。ましてグラゴール・ミサは、声楽曲としては異形の怪作である。しかしあえて、これに挑戦するのは伝統を受け継ぐ者としての決意と覚悟があったのだろう。このステージではマエストロの最も厳しい面を見たように思った。ヤナーチェクが曲に込めた荒ぶる魂を鷲づかみにしたような演奏で、グロリアで既に涙目になってしまった。こんな土臭くコアなヤナーチェクは、そう聴けるものではない。

合唱はよく訓練されていて驚くほど上手い。このミサの合唱は特異で、柔らかなハーモニーが主体ではない。むしろ各声部は溶け合わず、古代スラヴ語の言葉が強靭に響くように書かれている。大フィル合唱団はどのパートにも芯があり、これほど力強いコーラスは数ある録音を含めてあまり類がないと思う。合唱指導の三浦宣明氏は九響合唱団の指揮者も務める第一人者と聞いたから、その功績が大きいのだろう。

独唱者もそれぞれ水準を十分クリアしていた。特筆すべきはチェコで活躍しているソプラノ慶児道代だろう。柔らかな声質で発声も発音も抜群の安定感があり、歌っている表情がとても良い。今回は彼女の活躍が声楽陣全体の印象を決めたといっても過言ではない。ベラルーシ出身のテノール、ヴァレンティン・プラットは当初予定されていたミハル・レホトスキーの代役で、硬質の歌唱は好悪が別れるかもしれないが、この曲で求められる強靭さを十分備え、作曲者の言う「司祭の声」を実現していた。長身のバス、マルチン・グルバル、アルトのヤナ・シコロヴァーも好演。それにしても、この曲のアルトはチョイ役過ぎてお気の毒だ(サンクトゥスとアニュス・デイの数小節しか出番がない)。

室伏素子のオルガンも素晴らしかった。声楽部分の締めを飾る嵐のようなパッサカリアは超絶な難曲で、私はこれまで4度実演に接しているが一度も満足したことはない(途中で止まってしまう奏者さえいた)。しかし、室伏はうねる様な最後のクライマックスも見事に弾き切り、抜群の効果を与えていた。

そして、やはり大フィルを賞賛したい。プログラムの前半ではやや不満があったが、この曲では持ち前の武骨さがプラスに働き、マエストロの気迫とともに圧倒的な印象を与えた。マエストロが張り詰めた表情でタクトを振り上げると、弦も管も打楽器もザックリと返してくれる。例えばクレドの低弦の響きなど大フィルならではだろう。こういう嵌り方をするとは思わなかった。叙情的な面で発見が多かった札響との「タラス・ブーリバ」とは、また違った味わいのヤナーチェク。やはりライヴは面白い。

残響豊かなシンフォニーホールの鄙びた雰囲気は、どこかブルノ風で心地よい。客入りは9割以上。会場で飲み仲間である札幌の会員、Mさんに会ったのには驚いた。

最後にこの公演を準備して下さった皆様に敬意と感謝を表したい。御蔭様で札幌から駆けつけた甲斐がありました。


※名著「王道楽土の交響楽」の著者、岩野裕一さんも会場に見えていた。岩野さんはこのたび発売されたエリシュカのCDに素晴らしいライナーノートを寄せている。最近、上梓されたばかりの「朝比奈隆 すべては交響楽のために」にサインをいただいたのも大阪詣での良い記念になった。
関連記事
スポンサーサイト

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Pilsner

Author:Pilsner
発話旋律 "Speech Melody"
日本ヤナーチェク友の会公式サイト管理人Pilsnerのブログ
チェコ音楽を中心にした音楽雑記帳です。
The blog by the chief manager of Janáček Association Japan
http://twitter.com/#!/janacekjapan

カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
最新記事
カテゴリ
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

Visitors
月別アーカイブ
検索フォーム
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。