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ヤナーチェクの仇敵、ズデニェク・ネイェドリィーー~その2

音楽史における党派対立といえばワーグナーとブラームスが有名だが、チェコでは20世紀前半を通じてスメタナかドヴォジャークかという論争があった。ブラームスの交響曲を好む者がトリスタンにアレルギーを示すというのは分かるが、「我が祖国」を愛する者が「新世界」を嫌うというのは、チェコ音楽ファンとして少々理解しがたい。しかも、ワーグナーvsブラームスの場合と違って、論争が激化した当時、既に両作曲家は没しており、当人たちの与り知らぬところだった。

この不毛な対立のキーマンが、共産政権下のチェコ音楽界を牛耳ったドン、ズデニェク・ネイェドリーである。彼は、ドヴォジャークのように「国民音楽を民謡から創造する」などという保守性は排されるべきであり、スメタナの「詩的な標題性」こそ進歩的であると主張した。スラヴ舞曲などで地域性を売りに外国人から受けを取っているドヴォジャークはけしからん、国際的な主流であるワグネリズムにより国民音楽を創造したスメタナ万歳というわけだ。

Wikipediaの記事を読むに、これはどうも後付の理屈で、根本は単純な学閥争い(カレル大学vsプラハ音楽院)や同郷人贔屓(スメタナと同じリトミシュル生まれ)だったように思われる。ヤナーチェクが高く評価したベルクの問題作『ヴォツェック』などはネイェドリーなら批判しそうだが、弟子であるオストルチルの擁護記事を自分の雑誌に掲載している。実のところ身内贔屓であまり一貫性はないらしい。とにかくネイェドリーは派閥抗争を好む権力亡者で、音楽界を私利のために歪め、批判した側にも、擁護した側にも悪影響を及ぼした。

ドヴォジャークと親しく、モラヴィア民謡から革新的な語法を得たヤナーチェクなどは、ネイェドリーの恰好の標的となり徹底的に攻撃された。カフカは友人マックス・ブロートによるヤナーチェク擁護をドレフュス事件に喩えているが、状況はそれ程に厳しいものだった。

V醇@clav Talich
ドヴォジャーク演奏の大家でありカトリック信者でもあった巨匠ヴァーツラフ・ターリヒは1948年2月に共産主義政権が成立した後、ネイェドリーの標的となり、国民劇場の音楽監督の座を追われ、自ら設立したチェコ室内管弦楽団を解散させられた。そのため、彼はプラハを離れて、スロヴァキア・フィルの首席指揮者を務め(1949-1952)、1953年にプラハ戻ってプラハ放送交響楽団の指揮者(1953-1954)となり、1954年にようやくチェコ・フィルへの復帰を果たしている。

確かにネイェドリーの影響が強かった50年代前半はドヴォジャークやヤナーチェクの録音が少なく、ターリヒやアンチェルがドヴォジャークの交響曲を録音できなかったのも、そんな事情が関係していると思われる。ターリヒによるドヴォジャークのピアノ協奏曲とチェロ協奏曲の録音は1951-1952年、ヤロスラフ・フォーゲルによる「イェヌーファ」は1953年の録音で、これらは今聴いても緊張感が漲る名演だが、こうした時代相も反映しているのかもしれない。
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