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ヤナーチェクの仇敵、ズデニェク・ネイェドリィー~その1

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ヤナーチェクの仇敵にして戦後のチェコ音楽界の癌とさえ言えるズデニェク・ネイェドリィーについてWikipediaの記事を訳してみました。面相通り、いやはや強烈な悪党です。

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ズデニェク・ネイェドリィー(1878年2月10日、ボヘミア、リトミシュル生、1962年9月3日プラハ没)はチェコの音楽学者、音楽評論家、文筆家であり、20世紀の大半を通し現在のチェコ共和国における文化活動に強い影響力を持った政治家だった。1901年当初、彼はプラハの新聞でオペラ評論を書いていたが、戦間期までに主に社会主義者としての政治的見解により権威的な地位を固めた。彼は、左翼政治に文化面での指導力を結びつけることで、1948年に成立したチェコスロヴァキア社会主義共和国の初期における文化政策の中心人物となり、共産党員として文化教育大臣を務めた。彼は大臣として自分の意向に沿った全国的な教育カリキュラムを推進し、また1950年代初めの「公開裁判」(特に大学教授の糾弾に関するもの)に深く関わった。


生い立ちと初期のキャリア

ズデニェク・ネイェドリィー、東ボヘミアの作曲家、教育者であるロマン・ネイェドリィーの子として、リトミシュル(「チェコ音楽の父」スメタナの生地)で生まれた。彼は、本格的な音楽教育をリトミシュル・ギムナジウム(1888-1896)にてヨゼフ・シュタストゥニーより受け、あわせてチェコの歴史を学んだ。1896年、プラハのカレル大学に入学し、ヤロスラフ・ゴルの実証哲学史やオタカル・ホスチンスキーの音楽美学を受講し、1900年に博士号を取得した。スメタナの擁護者であるホスチンスキーは、親しい同僚であったズデニェク・フィビヒの下で作曲と音楽学を学ぶようネイェドリィーに勧めた。フィビヒの個性や嗜好は若きネイェドリィーに大きな影響を与えた。彼の初めての著作はチェコ史専攻によるものだったが、1900年にフィビッヒが亡くなった後は、音楽学を専攻し、1901年に彼の師を評価する最初の試みとして「ズデニェク・フィビヒ、情景的メロドラマの創始者」と題した研究論文を発表した。また、同年発表した初の音楽評論では、スメタナ、フィビヒ、ホスチンスキーを犠牲にしていると感じていたプラハの主流派に対する反感を露にし、初演直後だったドヴォジャークのオペラ『ルサルカ』を攻撃した。

このように彼は生涯にわたって党派的な対立に熱中し、チェコ音楽界で力を得た後も将来に渡って影響が及ぶよう手を尽くした。1903年に発表した「チェコ音楽史」ではプラハ音楽院のドヴォジャーク楽派とスメタナの後継者(ヨゼフ・ボスラフ・フェルステル、オタカル・オストルチル、オタカル・ジフら、全てプラハの主流派から外れたネイェドリィーの知人たちである。)の対立を鮮明に描いた。以後の十年間に彼は音楽に関して膨大な量の著作を残した。「フス以前の歌曲」(1904, 1907, and 1913)、「スメタナのオペラ」(1908)、「スメタナ以後のチェコの現代オペラ」(1911、もちろんドヴォジャークは除外した)、「ホスチンスキー」(1907 and 1910)、「グスタフ・マーラー」 (1913)等の研究論文である。1908年にはカレル大学で音楽理論の講義を始め、ジフやヴラデミール・ヘルフェルトら、彼を信奉する若い仲間たちとともにサークルを形成した。


論争と戦間期

プラハの日刊紙に掲載されたネイェドリィーの音楽評論があまりに反プラハ音楽院に偏向しているとの批判を受け、彼と追従者たちは突然寄稿を差し止められた。そのため、彼ら専用の音楽雑誌、「スメタナ」(1910-1927の16年間発行)の刊行を余儀なくされる。

ネイェドリィーは、発言しやすい場を得て「ドヴォジャーク事件」(1911-1914)を引き起こした。彼はドヴォジャークが遺したものを槍玉にあげ、彼に敵対する現代作曲家は凄まじい個人攻撃の的になった(標的にされた31人の音楽家は1912年に不服申し立てを行った)。ネイェドリィーは、1913年のヴチェスラフ・ノヴァークを手始めに、彼の「現代的伝統と社会的責任に関する親スメタナ的見解」に従わない作曲家のキャリアを終わらせようとし、その標的にはヨゼフ・スークも含まれていた。一方、標的とされた者に替わり、彼の弟子(プラハ国民劇場の音楽監督としてオストルチルや現代オペラ作曲家としてのジフ等)がしばしば登場した。

1921年にチェコスロヴァキア共産党が合法化されると、ネイェドリィーは最初期からの辛辣なメンバーとなった。彼の音楽雑誌スメタナを除き、彼は出版の表舞台に復帰し、共産党新聞Rude pravoや彼が創刊した政治雑誌Var(「沸騰」、1921-30)に注力した。この中で、彼は戦間期のチェコスロヴァキア共和国とトマーシュ・ガーリック・マサリク大統領をはじめとする指導者らを糾弾した。Varの最終号はアルバン・ベルクのオペラ「ヴォツェック」に対する詳細な擁護記事が取上げられた。それはオストルチルが1926年に書いたものだった。この頃には彼の音楽学の弟子たちはプラハの音楽評論の主流となり、彼に味方した。Varの廃刊後はノヴァークとの短い論争や研究論文「オストチル」 (1935, 友人オストチルへの追悼), 「国民劇場」(1936), 「ソビエトの音楽」(1937)に注力した。


戦中および戦後の共産主義時代

ナチスがチェコを占領している間、ネイェドリィー一家はソ連に亡命し、そこからチェコの抵抗運動を支援したといわれている。息子のヴィット・ネイェドリィ ー(1912-45)は、プラハでは共産党の宣伝部と労働者合唱団に注力していたが、当時は赤軍に随行するチェコ人部隊に参加し、赤軍軍楽隊の模倣に努めた。

戦争終結し、ヴィットが1945年1月のドクラ戦の後、チフスで悲劇的な死を遂げた後、ネイェドリィーは戦後政府に参加するためプラハに戻った。当初、エドヴァルド・ベネシュの第三共和国において、教育・芸術・科学大臣に、1946年に社会保安大臣に就任した。1948年の2月事件後に、再び文化・教育大臣に就任し1953年までにこの職に留まった。

この過酷な時期、全ての教育課程で全国統一のカリキュラムが推進された。彼の修正チェコ史観では、大戦間の民主主義政権の業績は結局失敗に終わったブルジョア傾向の類として低く評価された。これは彼がスメタナとその”一族”を支援する絶好のチャンスで、今やそれが国家の法とされたのだった。彼はこれまでの集大成となる著作に取り掛かった。「スメタナ主義の歴史」、「チェコ文化について」、や「共産主義者:チェコ国家における進歩的伝統の後継者」等である。これらの著作とイデオロギーの影響は、1989年のヴェルヴェット革命に至るまでチェコスロヴァキア社会主義共和国内に様々な形で残存した。このように、ネイェドリィーの名は、彼の音楽学とは全く関わりのない研究者にとっても、少なくとも2世代に渡って独裁的な支配と分かちがたいものだった。


公開裁判とヨゼフ・フッター

約2年間の共産党独裁の後に、チェコスロバキアの共産党は、ルドルフ・スランスキ(※元共産党書記長)やミラダ・ホラーコヴァー(※女性政治家。チャーチルやアインシュタインら国外の著名人により助命請願された。)の逮捕と処刑で悪名高い党内の粛清を始めた。この風潮はネイェドリィーにとって音楽界や大学で鬱憤を晴らす絶好の機会だった。

10年以上も前の1930年中頃、ネイェドリィーがヤナーチェクらを攻撃した際、彼の支持者の多くが彼から離れていった。その中でも有名なのがヴラデミール・ヘルフェルトとヨゼフ・フッターである。ヘルフェルトは音楽学者として師のネイェドリィーを凌ぐ業績をあげていた。またフッターはオストルチルとジフについての著作を発表していた。ヘルフェルトが画期的な論文「チェコの現代音楽:チェコの音楽的創造性の研究」(1936)を著し、その中で音楽評論におけるイデオロギー的な偏向を厳しく批判した時、ネイェドリーは彼の追従者がヘルフルトを追放し、その著作を非難するものと期待したが、 フッターは公然とヘルフェルトに同調したのだった。 ナチ占領下、ヘルフェルトは共産党による抵抗運動のかどで、フッターは民主党による抵抗運動のかどで投獄され、ヘルフェルトは厳しい拷問の末、1945年5月に殺された。戦後、フッターはカレル大学に復帰したが、1950年に追放され、でっち上げられた容疑で逮捕された。 彼は39年の禁固刑を下されたが、6年間服役した後、恩赦により釈放された。 フッターは健康を害し、1959年、ネイェドリィーの死の3年前に亡くなった。

ネイェドリィーは1962年3月9日に死に、チェコの著名な文化人が眠るプラハ、ヴィシェフラッドのスラヴィーン墓地に葬られた。彼の墓はスメタナ、オストチル、ヴィットの傍にある。


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