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東京交響楽団による「マクロプロスの秘事」

前後しますが、もちろん「マクロプロスの秘事」の事を書いておかなければ。今月初めに上京し、2日間にわたって東京、川崎での上演を聴いてきました。

●12/2(土) 6:00p.m. サントリーホール
第542回 定期演奏会

●12/3(日) 5:00p.m. ミューザ川崎シンフォニーホール
川崎定期演奏会 第9回

指揮=飯森範親
演出=マルティン・オタヴァ
エミリア・マルティ(オペラ歌手)=イヴォナ・シュクヴァロヴァー(ソプラノ)
コレナティ(弁護士)=ヤン・フラディーク(バリトン)
ヴィーテク(コレナティの秘書)=ズデニェク・シュムカージ(テノール)
クリスタ(ヴィーテクの娘)=モニカ・ブリフトヴァー(ソプラノ)
アルベルト・グレゴル(グレゴル家の子孫)=ペトル・ストルナド(テノール)
ヤロスラフ・プルス=イジー・クビーク(バリトン)
ヤネク(プルスの息子)=経種廉彦(テノール)
ハウク(瘋癲老人)=伊達英二(テノール)
機械係=志村文彦(バリトン)
掃除婦/小間使い=押見朋子(メゾ・ソプラノ)

東京交響楽団は1997年以来、2年毎にヤナーチェクのオペラを取り上げてきましたが、今年は「利口な女狐の物語」「カーチャ・カバノヴァー」「死者の家から」に続いて4回目。初回の1997年に私が当サイトを開設して以来、当会はこのシリーズに合わせて活動を展開してきたので、個人的にも思い入れが深いものです。

シリーズも終盤にかかり、いよいよ難物の「マクロプロスの秘事」。今回、私がまず懸念したのは、指揮者が秋山和慶さんから飯森範親さんへ交代したことです。というのも、これまで東響がこの大胆な企画で私のようなヤナーチェキアンをも満足させる完成度を保ってこられたのは、秋山さんの優れた職人技によるところが大きいと考えていたからです。

どんな作品でもそうでしょうが、特にヤナーチェクは個性が強い分、楽譜面だけでは様にならないようなところがあります。例えばグラゴルミサのオルガン・ソロなど、これまで数回ライブに接した限り、きちんと弾けているのを聴いたことがない。また、こなれていないオケで聴くと、変拍子が多く、前のめりで唐突に響くヤナーチェク節に対応できず、もっさりと角がとれてしまう傾向があります。(特に音が立ち上げるまで時間がかかる金管は遅れ気味になるようです。)

「マクロプロスの秘事」は、才気溢れるチャペックの対話劇で、オケは軽妙な台詞をくすぐるように、いかにもヤナーチェクらしい短いフレーズがモザイクのように全編に渡り鳴っています。ヤナーチェクは、もともと旋律を長く歌わせることを好みませんが、それでも、この目まぐるしく転換する音楽は、彼のオペラ作品の中でも最も特異なものに位置づけられるでしょう。オケの役割は歌手以上に重く(※これについて当会会員の赤堀春夫さんが対訳解説書の中で、18世紀のベンダ一族以来の”メロドラマ”といわれる、音楽付き語り劇の伝統を踏まえたものと解説しているのに膝を打ちました。)、演奏は至難でしょう。

そんなわけで、今回初めて聴く飯森さんは、この作品をどのように演奏するだろうと、期待と不安を胸にサントリーホールへ足を運びました。

結果は、とても素晴らしかった。終始、音楽は隅々まで面白く、作品をとことん堪能しました。今回、私は対訳解説書を編集するにあたり、リブレットを読み込み、何度も録音を聴き返したのですが、実演ではさらに多くの魅力を発見できました。飯森さんはリズムの角を立てフレーズ、声部をそれぞれ印象に鳴らし、東響は良く応えていました。特に2日目は大変精度の高い演奏でした。とりわけ感心したのは、短い断片的なフレーズの繋ぎで、滑らかにつなげて流すのではなく、適度な間をもって台詞と上手く掛け合わせていたことです。おかげでドラマの気分の転換に合わせて実に巧みに音楽が構成されていることが分かりました。

そして実演に接していまさらながら、この作品の肝が不老長寿を巡るミステリーや喜劇、悲劇以上に、エミリアが死を受け入れ覚悟することだと気付かされました。ありがちな演出ではラストはB級ホラーのようにスモークが焚かれエミリアが老婆に変身し絶命するという風なのですが、そうした趣向は作品の本質を見誤らせるかもしれません(
今回の演出ではありませんでしたが)。エミリアが厄介な裁判に介入するのは、あくまで不老不死の妙薬の調合方法”Več Makropulos”を記したメモを入手するためです。彼女は337年も生きて人生に倦み果てているのですが、死を受け入れる決心だけはつかない。これは彼女が悪あがきの末、悟りを得る物語といってもいいかもしれません。

例えば何気なく本音が漏れるような台詞にヤナーチェクは大変印象的な音楽をつけています。
第2幕でエミリアが若い二人を横目に「あの二人、もう寝たのかしら」という場面;

エミリア:いずれそうなるってことよ。そんなのとるに足らないことよ。
プルス:じゃあとるに足るというのはどういうこと。

こういうところでオケは一瞬静まり、アリアに匹敵するくらいの印象を残します。飯森さんは、オペラのあちこちに散りばめられたこんな聴かせどころを非常に丁寧に処理していたように思います。

そして第3幕のラストでは以下の台詞がクライマックスになります。

コレナティ:私どもにはみんな分かっている。あなたのお名前は?
エミリア:エリナ・・・・マクロプロス。

***
エミリア:死神が私に手を伸ばすのを感じていました。でもそんなに恐ろしくはなかった。

この最期の語りは、「イェヌーファ」で嬰児殺しを告白するコステルニチカや「カーチャ・カバノヴァー」で自殺を覚悟するカテリーナとも重なる、ヒロイン最後の心情の吐露であり、その痛切な音楽に感動しました。

歌手については皆、何の不足もない。欲を言えば主役のシュクヴァロヴァーの声がもう少し、ふくよかに伸びていたらと思いましたが、この人の歌だって決して悪くない。ただ自然な台詞回しを重視するなら、オケの前で声量を抑えなければならないし、それでオケに負けるのならオペラティックに声を張り上げなければならない。そういうジレンマは感じました。そう考えると彼女はかなり良いバランスで歌っていたように思えます。しかし、こういう作品ではオケはピットに入ったほうが良いのかもしれません。
日本人歌手も健闘していて、伊達さんの瘋癲老人ぶりが上手く、端役ながら押見さんの茶目っ気たっぷりの演技・歌唱も印象に残りました。

マルティン・オタヴァさんの演出は、 これまでシリーズと同様、簡易な舞台上で歌手が衣裳をつけて演じ、後方のスクリーンには舞台イメージが映し出される”セミステージ形式”というもので、簡素ながら十分な効果を上げていました。今回は前回までと違って日本歌手もチェコ人歌手と同様に舞台上で演技していたのが良かったです。それから、特筆すべきは字幕の質が大変良かったこと。簡潔で軽妙さを失わない台詞が見やすい位置にスライドされ、大いに鑑賞の助けになっていました。

これだけ上質な上演が2夜あったのは全く贅沢なことでした。これはめったにない音楽体験でしょう。私も当初1夜だけの予定でしたが、結局、川崎まで行き2夜とも聴いてしまいました。演奏者、関係者の皆様、本当にありがとうございました。

さて、次は多分「ブロウチェク氏の旅」でしょうか。これも魅力的ですが我が国では上演されていない難物です。関根日出男先生は既にこのオペラの対訳解説の執筆を始められており、いまから2年後が楽しみです。
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