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ラドミル・エリシュカという「奇跡」

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日本の主な音楽評論家が加盟する団体(一社)ミュージック・ペンクラブ・ジャパンは、札幌交響楽団と名誉指揮者ラドミル・エリシュカに対して「第30回 ミュージック・ペンクラブ賞」特別賞を贈呈した。4月23日には札響事務局の方やマエストロのマネージャーが出席し授賞式が開かれた。この受賞は両者の長年に渡る共演が高く評価されたもので、受賞理由には「42回の共演を重ねて2017年10月の最後の演奏会を開くまで奇跡の名演を繰り広げてこられました」と記されている。

「奇跡の名演」。プロの物書きの団体にしては陳腐な表現のようだが、エリシュカ&札響の歩みはまさに「奇跡」としか言いようのないものだった。

マエストロが昨年3月の公演を終え、帰国後に肺炎を患ったのが4月。そしてドクター・ストップの中、マエストロの強い希望により最後の日本公演が6月に通知され、10月に再来日し大阪フィル定期でドヴォジャークの「テ・デウム」と交響曲第6番、札響定期でR.コルサコフの「シェラザード」が演奏された。これもまた陳腐な文句になるが長く語り伝えられるような「伝説の名演」だった。

あれから多くの方がこの最終公演について熱く語ってきた。僅か半年ばかり前のことだが、私にはもう何年も前の出来事のように思える。まったく夢のようだ。

エリシュカの日本での成功は、単に「マエストロ」が客演して名演を成し遂げたということに留まらない。エリシュカに劣らず優れた指揮者は多く、名演もまた多い。それでもなおエリシュカの成功は「奇跡」「伝説」として語られるべきものだと思う。ミュージック・ペンクラブ・ジャパンが、そこを正当に評価して下さったのはまことに有難い。

そもそもマエストロは来日前まで西側での活動歴がなく、チェコ音楽ファンの多い我が国ですら知名度は皆無だった。チェコ国内での玄人筋の評価は高く、多くの実績を積み、音楽界では重鎮と目されてはいたが、チェコ国内ですら一般に名の通った指揮者ではなかった。当人は英語が話せず、政治力も皆無。むしろ共産主義政権時代には敬虔なクリスチャンであったことから当局から睨まれていた。商業主義とも政治とも無縁で、1989年までは伝統と実力はあるが国際的には注目されていない地方オケ、カルロヴィヴァリ響を磨き抜くことに没頭していた。しかし、ビロード革命後に商業主義の波が押し寄せるとそのポストを失い、プラハアカデミーでもっぱら後進の指導にあたっていた。マエストロが日本でデビューするまでの15年間は指揮者としては大変不遇な時期だったといってよい。

なぜ、世渡り上手とはいえない「遅れてきた巨匠」のインディアン・サマーが日本で訪れたのか。それには、いくつかの幸運と良縁が重なったからだ。

その第一はマエストロのマネージャーを務めている梶吉洋一郎・久美子夫妻の献身と尽力だ。梶吉氏はもともと放送業界出身の方で、クラシック音楽に大変造詣が深く、チェコの音楽事情にも精通している。なにより本物を見抜く眼の確かな方で私もいつも教えていただいている。奥様はチェコ語の通訳者でもある。梶吉夫妻はマエストロの噂を聞きつけ、日本へプロモートし、マネージャーとして仲介する傍ら、パスティエルというインディーズレーベルを立ち上げ、手弁当でCDの録音・製作まで行った(※エリシュカ定期が年2回になってからは一方のブラームス交響曲チクルスはAltusレーベルが録音した)。とても採算が合う話ではなく、商業的な動機というよりは、マエストロの音楽と人柄に惚れ込み、いまや失われつつある戦前から受け継がれた至芸を後世に残すという使命感からであった。

そして札幌交響楽団との出会い。梶吉氏は全国のオケにプロモートをかけたが、その反応は当初芳しいものではなかった。無名の老指揮者を起用するのはオケとしても大きな冒険なだけにある意味当然であった。その中で、唯一興味を示したのが札幌交響楽団だった。

胃袋の大きな関東と違って、北海道でオーケストラを維持するのは並大抵の事ではない。札響は2003年に深刻な経営危機を迎え、存続も危ぶまれる程だった。その後、地域密着の巡回公演に力を入れるなど事務局と楽員が一体となって努力を続けて財務状態の立て直しを図り、2009年には遂に公益財団法人となった。エリシュカの2006年の札響デビューはそういうなかでの判断だった。

縁あってエリシュカ&札響の歩みを間近で立ち会い思ったのは、オケの実力というのは、楽員の技量は無論だが裏方の力が極めて大きいということだ。コンサートの企画運営からステマネ、ライブラリアンに至るまでがオケの実力。

マエストロのデビュー時から、札響の対応はマエストロに最良のコンディションで実力を発揮してもらおうという配慮が行き届いていた。それは単にビジネス上のVIP待遇とは全く異なるもので、梶吉夫妻の「マエストロの芸をなんとか残したい」という想いと一つだった。

例えば、マエストロの練習では通訳としてプロハースカ尚子氏が立ち会うのが恒例となったが、これは札響がまず取り入れたものだ。彼女はもともとチェコ在住のトロンボーン奏者で、マエストロの下で何度も演奏している旧知の間柄であった。そのため、練習ではマエストロの指示を的確に伝え、ムードメーカーとしても重要な役割を担った。客演する指揮者のために通訳者をわざわざチェコから呼び寄せるのは異例なことだろう。

また、マエストロにとって奥様の存在は大変大きかった。それは単に最愛の伴侶というだけでなく、マエストロの健康を厳しく管理し、必ず演奏に立ち会って歯に衣を着せぬ助言をするアドバイザーでもあった。札響は奥様の大切さを理解し最大限のもてなしをしたと思う。魅力的な奥様はファンにもお馴染みとなり、微笑ましいおしどり夫婦として好感された。最終公演でも事務局が用意したファンの寄せ書きの中心にプリントされたのは夫婦の写真であった。

指揮者はフィジカルな職業なので、老化と共に芸の深化はあったとしても指揮活動の負担は厳しいものになっていく。マエストロはスター指揮者でなければ引退という齢になってから来日し、札幌を本拠地とした。それがどんなに有難いことだったか。この14年間は札響の成長とともにマエストロの老いもあった。それが幸福に噛み合って相互に尊重し支え合う関係となった。

そしてエリシュカ&札響の成功は、音楽ファンに地方オケの実力を見直すきっかけを与えたと思う。例えば、ドヴォジャークの「新世界」交響曲など巨匠指揮者&有名オケによる録音が多数あるが、それらの中でもエリシュカ&札響の録音は世界水準の演奏だ。レコ芸の批評家投票でもウィーンフィルやベルリンフィル、チェコフィルによる歴史的名盤とも互角である。地元ファンの贔屓目でもマニアの偏愛でもなく、誰もが納得できる説得力を備えていると思う。スメタナの『我が祖国』など、バレンボイム&ウィーンフィルの演奏をドヴォジャーク・ホールで聴くプラハっ子と、エリシュカ&札響の演奏をKitaraで聴く札幌っ子ではどちらが幸せだろう。一概に前者と言えないのが音楽を聴く面白味で、多くの音楽ファンがそのことに気付いたと思う。実際、マエストロに師事したあるチェコ人演奏家が日本でマエストロの実演に接し感涙し、彼の演奏を本国で聴けないのは残念だと梶吉夫人にしみじみ語ったという。そして、これらの成功は一指揮者の人気にとどまらず全国のオケへの波及効果があったのではないか。エリシュカの名演に感激して地元のオケの定期に通い始めたという方を何人も知っているし、私もその一人だ。

現在、マエストロは奥様共々お元気で、プラハの自宅で指揮教本を執筆する毎日だという。4月6日に87歳の誕生日を迎えたマエストロは、9日にプラハのドヴォジャーク記念館で日本における指揮活動について講演した。マエストロはビデオやCDを交え、日本での14年間に渡る演奏活動について3時間近くも語った。この催しはチェコのドヴォジャーク協会が協賛しており、会場はほぼ満員。内容はやはり最も深い関係を築いた札響との話が中心だったそうで、最後のコンサートにおける練習風景、ゲネプロ、本番、終了後の貴重な映像が紹介されたとのことだ。

この講演会に出席されたプラハ在住の指揮者・音楽学者であるヘイグ・ウチジァン(Haig Utidjian)氏はフェイスブックで次のようにコメントされている。

「エリシュカ氏と日本との華々しいコラボレーションは、彼の引退間際から始まりました。その成果は、日本で最高のコンサートホールでの100を超えるコンサートと1ダースもの録音で、多くの賞賛と名声を得ています。しかし、何よりの成果は楽員との真に充実した相互関係、信頼と愛情なのです。

私たちは僅かなDVDとCDの録音から知るのみですが、めざましい技術的精度と明晰さに加え、稀に見る力強さと輝き、純粋さを備えた演奏だった十分な証拠がありました。その効果たるや全く息もつかせぬものでした!」

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やはり、国を超えても本質はちゃんと伝わっている。私はマエストロの築いた札響の評判が広く伝わって欲しいと願っている。エリシュカ&札響の世界水準の演奏が海外ではまだまだ知られていないのは残念なことだ。海外の知人にCDを贈ったり、下手な英語でネットで発信したりと私なりに微力を尽くしているが、ここはもう一段の展開を期待したいのだが。

それから、マエストロに関して、これまでの経歴、日本での活動記録等が纏まった本が欲しい。有名指揮者についてそうした著作は多いがエリシュカに関してはまだライナーノートと雑誌の記事くらいしかないのだ。それにマエストロが元気なうちに話を聞いて記録として残すべきだと思う。マエストロはチェコ音楽史の語り部としてもかけがえがない存在だ。バカラ、ターリヒ、シェイナ、アンチェル、スメターチェク、ノイマン、クーベリック、ビエロフラーヴェクの思い出を語れるチェコ人などもうマエストロ以外に残っていない。チェコスロヴァキアの特殊な政治事情に翻弄された演奏家の証言は興味深いものだろう。マエストロには、政府の特使としてチェコの楽団を連れてキューバを訪問しカストロやゲバラと握手したり、モスクワを訪れた際にハチャトリアンが奥様をすっかり気に入ってしまったとか、ドヴォジャークの「テ・デウム」を演奏した際に共産党幹部から宗教プロパガンダだと叱責されたとか、面白い逸話が沢山あるのだから。

加えてマエストロが多くの書き込みをしたスコアは、すべて札響に保管されている。これこそがマエストロが残した貴重な資産であり、専門家の研究分析を期待したいところだ。
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