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チェコ文化研究家、故関根日出男先生のこと

2017年ももう終わる。今年、自分にとって最も大きかったのは長年私淑してきた当会顧問のチェコ文化研究家、関根日出男先生が1月18日に亡くなられたことだった。先生とは昨年から、11月に日生劇場で上演されるドヴォジャークの歌劇『ルサルカ』の対訳解説書を作成していた。この本は、先生が亡くなられた後に完成し、日生劇場の公演にも間に合ったのだが、それでも「先生も草葉の蔭でお喜びでしょう」という穏やかな気分ではなく、複雑で苦い思いも残る。今まで追悼の記事を書けなかったのもそのためだ。だが何も記さずは年を越せないだろう。

関根日出男先生に初めてお会いしたのは1997年12月、東京交響楽団がヤナーチェクの歌劇『利口な女狐の物語』をセミステージ形式で上演した時だった。これがその後、2009年まで続く東響ヤナーチェク・オペラ・チクルスの皮切りだった。思えば、もう20年にもなる。1998年でこの作曲家の著作権が切れ、その後、ヤナーチェクのオペラ上演が世界的に盛んになる節目の年、インターネットを通じて知り合った音楽仲間のオフ会で、ピアニストの沢由紀子さんより紹介された。私がそれまで得てきたチェコ音楽の知識はもっぱら佐川吉男先生か関根日出男先生によるものだっただけに大変光栄で初めは緊張したが、互いにヤナーチェクについて語り合ううち旧知の仲のように打ち解けた。先生は北海道と縁が深く、若い頃、北大で医学博士を取得し、以前、私が赴任していた近隣の炭鉱街、上砂川で研修医をされていたなど道産子の私とは奇妙な縁があった。その後、その時の仲間内で日本ヤナーチェク友の会が結成された。先生には、その会の顧問となっていただいた。

当初、当会の先生との関わりは遠慮がちなものだった。なにしろアマチュア愛好家が結成した同好会には資金がなかったので、大御所である先生に軽々に原稿を依頼する訳にもいかないと思っていた。しかし、そんな懸念は全く無用だった。先生は、長年積み重ねてきた研究の成果を公にして残されることを強く望んでおられた。いつしか当会は「関根先生を囲む会」のようになり、先生の著作を軸にヤナーチェクのオペラ・声楽作品の対訳解説書を国内の上演機会に合わせて刊行していった。結局、当会はヤナーチェクの全てのオペラ・声楽作品の対訳解説書を完成することができた。

ヤナーチェクとマルチヌーは先生が特に傾倒し、我が国への紹介に力を入れた作曲家だった。先生は常々「ヤナーチェクの本領はオペラ。ヤナーチェクを深く理解するにはチェコ語の知識が必須だよ。」とおっしゃっていた。

ヤナーチェクのオペラ作品のほとんどは作曲家自身が作成した台本によっているが、決まった型に嵌まることを何より嫌った彼の文章は音楽同様に癖が強いため、その翻訳は容易でない。先生の翻訳は、語学的な正確さだけではなく、チェコの文化・歴史に対する深く幅広い理解に基づき、原作から楽譜に至るまで徹底的に読み込んだ上のものだ。分かりにくい言葉や慣用句に丁寧な注釈を付け、意味を補完し、繰り返しの多い台詞を適宜整理して、実用的な対訳にしている。これだけの内容の対訳解説は世界的にも稀だろう。

先生は、今のように海外情報を得るのが容易ではない時代から精力的に日本にチェコの文化を紹介された。雑誌の記事からコンサート、レコードの解説まで、チェコ音楽に関する日本語情報の多くは先生によるものだった。先生は共産主義時代から何度もチェコに渡り、現地で上演を観て、膨大な資料を蒐集するとともに、多くの方と知り合い貴重な情報を得たという。先生がチェコ語を学び始めた頃は、まだチェコ語日本語の辞書すらなく、ロシア語を学びチェコ語ロシア語の辞書を使われたそうだ。

先生のチェコ音楽に賭ける情熱、旺盛な知識欲は常人を超えたもので、その記憶力にはいつも驚かされた。その該博な知識はチェコ文化に留まるものではなく現代音楽から民俗音楽まで幅広く、文学・美術にも詳しかった。在野の研究者として強い自負心をお持ちだったが、それでいて権威的な態度とは全く無縁だった。むしろそういうものに対し抵抗感をお持ちだった。なので、あれだけの学識と実績をお持ちなのに威張ったり自慢したりするのを見たことがない。謙虚な人柄というより大き過ぎる知的興味の前に面倒な自意識を構う暇がないといった風だった。良い意味、淡白で温厚な人柄、関心を共有出来る相手には誰であろうと惜しみなく知識を分け与えていた。美意識は高く、趣味の好悪は明確だったが、価値観を他人に押し付けるようなところはなかった。そういうオープンな精神が緩くフラットな愛好家ベースの当会と上手く噛み合った。また、ご高齢にも関わらずパソコンやネットワーク技術にも柔軟に対応し、メールやウェブは無論、楽譜作成ソフトまで駆使していた。おかげで札幌在住の私とも遠隔で円滑に共同作業ができた。それなしでは本作りなど到底かなわなかった。先生の仕事を当会で形にして世に出せたのはお互いに幸福な縁だった。関根先生の下には学識と人柄を頼りにチェコ音楽に関わる演奏家、研究家、愛好家が集まっていたため、先生を通じて交友が広がったのも有難かった。

先生は晩年、かなり死を意識されていたように思う。だが、死への怖れより残された時間を活かし成果を残せるかに賭けていたのだと思う。特に2015年12月に刊行した『イェヌーファ』対訳解説書の増補改訂版の編集作業では鬼気迫るものを感じた。『イェヌーファ』対訳解説書は当会が最初に刊行したもので、在庫が切れたため当初は初版のまま増刷するつもりだったが、先生の強い希望で全面改訂し原稿を大幅に加えることにしたのだった。この際は、精神的に異様なほど高揚して夜を徹して執筆にあたり、「蝋燭の灯が最後に明るくなるようなものだよ。ヤナーチェクのように。」とおっしゃっていた。本当にハラハラしたものだ。その頃から先生は、自分が蒐集した本やCDを精力的に整理し手放していた。

先生と最後にお会いしたのは、2016年11月に開催された中島良史先生の企画によるオール・ヤナーチェク・プログラム公演だった。久しぶりにお会いした先生は、随分と痩せ細り顔色も優れず肉体的衰えが一目で分かる一方、精神的な衰えは全く感じさせず眼は爛々とし、どこか突き抜けた高僧のようであった。演奏機会が少ないヤナーチェクの女声合唱曲「フラッチャニの歌」を聴きとても喜んでおられたのを思い出す。先生は身体の衰えと共に気分に浮き沈みがあったようだが、この時には「人生の意味は、得ることよりも与えることなのだね。」としみじみおっしゃっていた。人生論のようなことをあまり語らない方だったので、この短い吐露は深く印象に残っている。

その頃、私は先生と既に『ルサルカ』の対訳解説書を編集作業をしていた。既に先生はメールで何度か体調不良を訴えられていたので、いつ何があってもおかしくないという覚悟はしていた。ただもう何があっても先生のお好きにしていただく方が幸せだろうとも思っていた。それでも散歩がてらに図書館へ通い毎日数冊本を読んでいるとか、ハプスブルク史に関する独語文献を調べているとか、トルコ語を学び始めたとかいう近況を伺うとまだまだ気力十分で大丈夫と安心していた。5月にムハの大作「スラヴ叙事詩」が来日するまで、11月の日生劇場公演までは絶対に持つだろうと奇妙に信じ切っていた。そして1月18日、雪降る中での通勤途上、奥様から電話で訃報を伝えられた時にはしばし呆然とした。前日ベットから落ち、骨折で搬送された先の病院で末期の肺癌が見つかり、そのまま集中治療室に入ったが間もなく亡くなったという。

その後、当会会員は無論、関根先生を慕うチェコ音楽仲間たちと共に『ルサルカ』対訳解説書の編集を行った。先生が亡くなった後の作業は困難だったが、なんとか最後の仕事を完結した。今は大きな荷を降ろした安堵感と同時に、先生の生前に完成できなかったことには悔いが残る。いかんせん私には学識や情熱が先生には遥か及ばなかった。

先生とのお付き合いは約20年に及ぶものだったが、長くも短くも感じる。これは、たまたま国内でヤナーチェクのオペラ上演が相次いだ期間だった。実生活ではまず接点がなかったはずの交友なので不思議な巡り合わせというよりない。この出会いが数年ずれていただけでヤナーチェクのオペラ声楽全作品の対訳解説書刊行などできなかった。奇しくもヤナーチェクに始まり、ヤナーチェクに終わる出会いとなってしまった。また、ごく個人的なことだが、先生の本業は耳鼻科の開業医だったので、私を長年悩ませていた先天的な鼻の不調にも有効な助言を下さり、大いに救われた。

当たり前だが人は死んでいく。偉業を成し遂げた個人でも生前築いたものの多くは散逸し残るものはごく一部だ。先生は生前、多くの資料や書き溜めた文書のファイルを収めたUSBを私に預けて下さった。正直、私の力では手に余るものだが、今後はこれらを無駄にしないよう私なりに微力を尽くしていきたい。 


関根訃報
チェコの高級紙Lidové noviny(2017/1/24)に掲載された関根日出男先生の訃報。「日本におけるチェコ文化の友、死す」とある。ノーベル賞文学者、ヤロスラフ・サイフェルトとの貴重な1枚が掲載されている。
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