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エリシュカ&札響による渾身の「悲愴」

毎年恒例、春のエリシュカ祭り。マエストロは、4月6日で83歳になった。エリシュカが誕生日を札幌で祝うのは今年で7回目である。

私は例年通り2日とも聴いてきた。

札幌交響楽団第568回定期演奏会

2014年4月11日(金) 19:00~
2014年4月12日(土) 14:00~

会場:札幌コンサートホールKitara

指揮 ラドミル・エリシュカ(首席客演指揮者)

曲目:
ベルリオーズ:序曲「ローマの謝肉祭」
ヴォジーシェク:交響曲 ニ長調 Op.24
チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調「悲愴」

まず、1ステのベルリオーズから、オケが惚れ惚れするくらい良く鳴っていて、華やかで活きがよい。アンサンブルがクールに引き締まっている。その音楽の推進力は、やはり勢いに任せたものでなく、期待通りの快演だった。

ボヘミアの作曲家、ヤン・ヴァーツラフ・ヴォジーシェク(Jan Václav Voříšek, 1791- 1825)の交響曲は、チェコではよく知られており、録音も幾つかあるが、国外で演奏されることは極めて稀である。我が国では、以前、N響がサヴァリッシュの指揮で演奏し、アマオケも何度か取り上げているという。

ヴォジーシェクは、1791年(モーツァルトの没年、ツェルニーの生年)にボヘミア東部のヴァンベルクで教師の息子として生まれ、プラハでトマーシェク、ウィーンでフンメルに師事した後、ウィーンで活躍し、宮廷第2のオルガニストとして活躍し、音楽サロンに参加して交友範囲を広げたという。特にベートーヴェン(1770-1827)を敬愛し、シューベルト(1797-1828)とも親交があったが、肺結核のため34歳で没している。古典派の時代には、数多の交響曲が書かれ、今ではハイドン、モーツアルト、ベートーヴェン以外の作品はほとんど埋もれてしまったが、この作品はもっと聴かれてもよい佳曲だろう。

めったに演奏されない曲だけに、1日目はまだこなれない部分が残っていたが、2日目の完成度は十分だった。やはり、オケが良く鳴っていて、弦、管、打のコンビネーションがとても良く、ロマン派に片足を入れつつある後期古典派の表現性が光っていた。ベートーヴェンを思わせる第3楽章のスケルツォでは、弦楽群の凛とした雄弁、木管の空気感、それにティンパニが気持ちよく鳴っていたのが印象的だった。

だが、なんといっても白眉は、「悲愴」だろう。エリシュカは、チャイコフスキーを得意としていて、チェコスロヴァキア時代にカルロヴィヴァリ響を指揮していた頃、海外公演でしばしば第5、第6交響曲を演奏して絶賛を博したという。エリシュカが、日本でチャイコフスキーの交響曲を演奏したのは、2008年4月に東京オペラの森音楽祭で都響と第5番を演奏して以来で、これが事実上の東京デビューだった。エリシュカが「悲愴」を日本の聴衆に披露するのはこれが初めてだ。

エリシュカは、カリスマ的な個性派というよりは職人的な音楽家で、彼の音楽に付き合っていると、どのような音楽になるか何となく予想できるように思えるのだが、実演に接すると意外性に驚き、納得させられることが多い。毎度、プラハ音楽院の教授からこの作品は本来こうなのだよと教わっているように思う。前回の札響定期のブラームスの交響曲第3番もそうだったが、はたして今回も驚嘆すべき演奏だった。

チャイコフスキーというと、非常にロマンティックで情緒的なイメージで、特に『悲愴』は題名のとおりロシアの憂愁に満ちた交響曲という印象をもっていた。しかし、エリシュカの『悲愴』は、もっと硬派なパッションとラメントの音楽だった。

第1楽章は、序奏部の第1主題のフレーズは、厳しいリズムで絞られている。芯の確かな弦の刻みはレガート気味にならない。このため、この執拗な反復はさざめくような甘さよりもザラリとした感触があり、ミニマル音楽のような幻惑性を帯びる。視覚的にも聴覚的にもオーケストレーションが明快に見える演奏だ。そして現れる第2主題は、ちょっと拍子抜けする位に甘さひかえめだが、その抑制がむしろ真摯な強さを与えていた。そして、その後の展開部は怒涛のようで、アンサンブルの集中力にとにかく圧倒された。

優雅な第2楽章も、やはり甘さはひかえめで上品だが、きっちりとしたワルツは実に薫り高い。エリシュカの意を汲み、この抑えた旋律のニュアンスを表すのが、札響はとても巧い。長年の付き合いはダテじゃない。この味は、なかなか他のオケでは出ないのではないか。

そして迫力の第3楽章は、リズムが強靭でオケが存分に鳴っている。この楽章も、ややもすると単調な繰り返しのようになりがちかもしれないが、全体の構成設計が巧みで、随所で面白い効果をあげていた。

第4楽章も、やはり情緒的な悲嘆に流れるよりも、もっと直截的なパッションを感じた。多くの演奏がそうであるように、弦楽をたっぷり膨らまして歌わせることはあえてしないが、決してオケが鳴っていないわけではない。リズムの鋭さや、音色が冴え、その質感が強い響きを生んでおり、引き絞るように歌う。時折、意外な音色が浮き立ち、奇妙な効果を与える。ヤナーチェクの管弦楽でも響きは厚くならず、弦や管の尖がった音色にハッとするような表現性が感じられるが、この「悲愴」もそういう箇所がいくつもあり驚かされた。例えば、最後に静かに終結するときコントラバスの音がグロテスクに残るところなど。以上、全体に筋が通った、あくまで辛口の解釈だった。

1日目の演奏は、異様な位のテンションで、解釈の意外性もあり衝撃を受けたが、2日目は、もう少し平静に聴くことができ、オケの響きも1日目より硬さがとれていたと思う。

正直、「悲愴」はこれまで好んで聴く曲ではなかったが、根本から聴き方を改めさせられた。これは渾身の名演だったと思う。指揮者とオケに気押されたのか、聴衆のマナーも随分良かった。

エリシュカというのは、髪を振り乱して主情的な解釈をするタイプの音楽家ではないのだが、オケを鍛え上げアンサンブルを突き詰めたところで、意外なほどの表現性を発揮する。それに見事に応える札響も立派である。本当に札響もここまで来たかと、定点観測してきた地元ファンとして感慨深かかった。

今回の公演は録音が入っていたのでCDになるだろう。

eliska&sso201404

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