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ヤナーチェク門下の作曲家、ヴァーツラフ・カプラールについて

kapral

ヴァーツラフ・カプラール(Václav Kaprál,1889-1947)は、作曲をレオシュ・ヤナーチェク(ブルノ、1907-1910)とヴィチェスラフ・ノヴァーク(プラハ、1919-1920)に師事し、マリエ・クフロヴァ(ブルノ、1903-1907)、アドルフ・ミクス(プラハ、1919-1920)、クララ・シャフェロヴァ(ブルノ、1920-1922)、そしてアルフレッド・コルトー(パリ、1923、1924)の下でピアノの研鑽を積んだ。 1911年に私立の音楽学校を設立し、長年にわたりピアノ教師として活躍した。

1913年には声楽家のヴィーチェスラヴァ・ウフリローヴァ(1890-1973)と結婚し、1915年に一人娘、ヴィーチェスラヴァ・カプラローヴァが生まれた。1921年に結婚生活は破綻し、2年後、夫婦は法的に離婚したが、共に才能ある愛娘の世話を続けた。

1922年から1930年の間、カプラールは、友人であり、後にブルノ音楽院の同僚となるルードヴィク・クンデラ(「存在の耐えられない軽さ」で知られる作家、ミラン・クンデラの父)と組み、ピアニストとしてコンサート活動に注力した。二人は1922年1月にブルノのモラヴィア作曲協会の設立に尽力し、1919年から1928年の間、カプラールは聖歌隊指揮者、講師、音楽編集者、理論家や評論家としても活躍した。彼は、「平等」Rovnost(1920-1922)、「地方」Venkov(1922-1924)、および「音楽展望」Hudebni rozhledy(1924-1928)のための多数のレビューや記事を書いていた。さらに、彼は、グラシアン・チェルヌシャークが編集した音楽辞典にいくつかの項目を書き、音楽学者ウラデミール・ヘルフェルトによるボヘミア古典音楽シリーズのためベンダ、ヴォジーシェク作品の巻を担当した。 

1927年、カプラールはブルノのマサリク大学の講師に就任した。 1935年、彼はブルノ音楽院で作曲科教授に就任し、チェコ芸術科学アカデミーのメンバーとなった。翌年、彼は国際現代音楽協会のチェコ支部の副会長に選出された。

1942年秋、カプラールはゲシュタポに逮捕され、1945年の春まで、収容所スヴァトボリッツェ(キエフ近郊)に投獄されていた。1946年、彼はチェコスロバキア作曲家連盟の初代会長に選出されたが、既に健康状態が悪化しており、翌年、癌で死亡した。

カプラールは、新ロマン主義の最後の世代で、その作風は印象主義、表現主義、即物主義、微分音楽からジャズなど様々な要素の影響を受けている。彼の作品は、暗い運命を暗示するものが多いが、その中でも注目すべきはピアノのための小品「予感」であろう。1940年7月のある日、彼は突如、言いようもない憂鬱な気分に襲われ、不吉な予感に駆り立てられた。彼は耐えがたい衝動に従ってピアノに向かい、不吉な出来事を予感させる音楽を一気に書きとめた。一ヶ月後、BBCの戦時放送を聴き、彼はその小品を作曲した丁度その時に、愛娘のヴィーチェスラヴァがフランスで亡くなったことを知ったのだった。

ちなみに、ヤナーチェクの教育は若い弟子達に刺激を与えたが、天才の閃きに頼った講義内容はしばしば学生を混乱させたようで、彼らは卒業後、より理論的な教育を求めて他の教師に師事した(クヴァピルはライプツィヒのレーガーの下に、カプラール、クンツ、ペトルジェルカ、チェルニークはプラハのノヴァークの下に行った)。カプラールは、グラゴール・ミサの初演(1927年12月5日、ブルノ)について「音楽展望」(1928年2月)に批評を書き、ヤナーチェクの怒りを買っている。「私は言いたい。若輩者よ、私は断じて年寄りではなく、信心深くもない。私が認めない限り、そんな言われ方は御免こうむる。」と。

カプラールの娘、ヴィーチェスラヴァ・カプラローヴァ (1915-1940)は、9歳から作曲の才を現し、14歳でブルノ音楽院に入学して作曲と指揮を学んだ。22歳の時にプラハでマルチヌーと出合って親密な関係になり、彼の勧めに従ってパリに留学した。そこでシャルル・ミュンシュのレッスンを受けるとともに、その後、ノヴァークやターリヒにも師事した。彼女の『軍隊シンフォニエッタ』は、1938年にロンドンで開催された第14回ISCM国際現代音楽協会のフェスティヴァルのオープニングに選ばれ(審査委員にはアンセルメ、ミヨーがおり、バルトーク、ブリテン、コープランド、ヒンデミット、クシェネク、メシアン、ウルマン等の作品も演奏された。)、その後、この作品はスメタナ賞を受賞した。1940年にはアルフォンス・ムハの息子であるイジー・ムハと結婚し、同年5月、ナチスがパリを占領すると、モンペリエルに疎開したが、6月に結核のため25年の生涯を閉じた。

*****

先日、カプラールの作品集のCDを聴いた。これは作品、演奏共に魅力的な一枚だった。2楽章の弦楽四重奏がパヴェル・ハースを、ピアノ作品がヤナーチェクを思わせるのが興味深かった。1939年ナチスのチェコ侵攻に抗議して書かれたというピアノソナタ第4番は当初「1939年3月15日」という題が付いていたといわれ、そういうところにもヤナーチェクの影響を感じる(ヤナーチェクには『1905年10月1日 街頭にて』というピアノ曲がある)。作曲家としては娘の方が有名だが、いずれも見過ごせないシリアスな佳品だった。カプラーロヴァーの葬送行進曲が、フランス的な要素と共に父の作風を受け継いだものであることも興味深かった。

カプラール作品集
1. ヴァーツラフ・カプラール :弦楽四重奏曲 ハ短調 (1925)
2. ヴァーツラフ・カプラール : ピアノソナタ 第3番 (1924)
3. ヴァーツラフ・カプラール : ピアノソナタ 第4番 (1939)
4. ヴァーツラフ・カプラール : 予感 (1940)
5. ヴァーツラフ・カプラール : 子守歌集 (1932)
6. ヴィーチェスラヴァ・カプラローヴァ : 葬送行進曲 Op.2

ヤナーチェクSQ [1]
アリツェ・ライノホヴァー (Pf) [2-4,6]
アンナ・バーロヴァー (Vo)
ペトル・アルトリヒテル (指揮) ブルノ・フィル
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