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ヤナーチェクの生前の姿を収めた貴重映像

ヤナーチェクの生前の姿を収めた貴重な動画がYouTube上に公開されている。7秒足らずの映像だが、うまく編集されているのでご覧いただきたい。愛想良く挨拶を交わしている白髪頭のずんぐりむっくりの老人がヤナーチェクである。エネルギッシュで、どこかせわしない動作が、いかにもこの作曲家らしい。なお、音楽は、カプリッチョ『挑戦』(1926)である。




この映像は、1925年5月にプラハで開催された国際現代音楽祭に出席した折の余暇中、知人とヴルタワ川を遊覧し南のズブラスラフへ向かった際に撮影された映像である。この時の写真はモラヴィア博物館が発行したヤナーチェク写真集成(Leoš Janáček ve fotografiích)にも掲載されている(no.94~ 97)。

以下、関根日出男先生が作成して下さったメモから転載する。

*******

ヴルタワ河を遡りZávistに向かう短い船旅。
Závist ザーヴィスト:有名なズブラスラフZbraslav修道院(現国立彫刻展示館)の対岸やや南の支流を上った所。紀元前5世紀、ケルト人の城塞跡Hradiště nad Závistiで、前2~1世紀頃に拡張され、ヨーロッパ最大の城塞の一つ(長さ9km,広さ157ha)となったが、ゲルマン・マルコマン族の侵攻で廃墟と化した。その後スラヴ人が住み着いた。

詩人のハーレクVítězslav Hálek(1835~74)は、しばしばここを訪れ「自然の中でV přírodě」(1872/ 74, ドヴォジャークの合唱曲op.63, B.126)などの詩作にふけった。しかし1874年9月20日クルコノシェ山地への帰り、ここに立ち寄ったが疲労激しく、10月8日に他界した。

praha_map



janacek1925


人物(左から)

①Viktor Mixailovich Belyajev(1888~1968)
ロシアの音楽学者。ウラル生、ペトログラード音楽院卒。革命後モスクワへ移住、音楽院で教え、現代音楽に傾倒。

②レオシュ・ヤナーチェク

③Wiktor Łabuński(1888~1968)
ポーランド系アメリカ人ピアニスト。ペテルブルク音楽院卒。クラクフ音楽院でピアノ科教授(1919/ 28)後渡米、各地音楽院で教える。

④ヴィリアム・フィグシュ=ビストリー Viliam Figuš- Bystrý(1875~1937)
バンスカー・ビストリツァ生、スロヴァキアの作曲家。バンスカー・シチャヴニツァの師範学校に学び(1889/93)、各地で教員をしながら民謡を収集。1914年ブダペスト音楽アカデミーで国家試験に合格。1921年から死ぬまで生地の師範学校や、ズヴォレンの音楽学校で教えていた。地元に合唱団を組織し、1922/24年作曲のオペラ「Detvanヂェトヴァ人」は、1928年4月1日ネドバル指揮スロヴァキア国立劇場で上演された。マルチヌーは「スロヴァキア民謡による変奏曲」H.126, 1920年作の主題を、ビストリー収集の民謡集に求めた。

⑤マリエ・カルマ・ヴェセラー Marie Camila-Veselá(1883~1966)
ソプラノ歌手、ヴェセリー医師の後妻、『イェヌーファ』プラハ初演の功労者。

⑥エルンスト・クロッソン Ernest Closson(1870~1950)
ベルギーの音楽学者。ブリュッセル音楽院付属楽器博物館長、同音楽院音楽史教授(1912/ 35)。著書多し。


撮影者:
ヤン・ミコタ Jan Mikota(1903~78):1924, 25年プラハでの国際現代音楽祭の事務局長。
ヤナーチェクのヴェネツィア、イギリス旅行に通訳として同行。


第3回国際現代音楽祭(開催地プラハ)1925年5月
15日:
R・カレル:交響詩「デーモン」、ブゾーニ:「セレナーデ」、トッホ:「室内オーケストラのための5小品』、マニュエル:「舞踏のテンポで」、リェティ:バレエ「ノアの方舟」、カミンスキ:「コンチェルト・グロッソ」

17日:
マルチヌー:「ハーフ・タイム」、ピクス:「パルティータ」、コザ:「オーケストラのための6楽章」、レッチ:「ピアノ協奏曲」、ヴォーン=ウィリアムス:「田園交響曲」

19日:
V・ノヴァーク:交響詩「トマンと森の精」、クシェネック:「コンチェルト・グロッソ」、マリピェロ:「主題のない変奏曲」、ミヨー:組曲「プロテエ」、バルトーク:「舞踊組曲」

これと並行して作曲者臨席の『利口な女狐』(5月18日プラハND、オストルチル指揮)と、『ヴォツェック』抜粋が上演された。

*******

注目すべきは⑤のカルマ・ヴェセラーであろう。彼女はプラハ国民劇場の音楽監督カレル・コヴァジョヴィッツの弟子であり、自作を酷評された恨みから『イェヌーファ』のプラハ初演を頑強に拒んでいたコヴァジョヴィッツに対し、夫のフランティシェク・ヴェセリーと共に粘り強く上演を説得した。彼女自身、1度だけプラハ国民劇場でイェヌーファを歌っている。
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