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ジ・アート・オブ・アルド・チッコリーニ ピアノ・リサイタル 2012

先週末、上京してアルド・チッコリーニのリサイタルを聴いてきた。

ジ・アート・オブ・アルド・チッコリーニ ピアノ・リサイタル
~ドビュッシー生誕150年記念《ドビュッシーとセヴラック》

日時:2012年12月1日(土) 15:00開演
場所:すみだトリフォニー・ホール
曲目:
 セヴラック/「春の墓地の片隅」~組曲《ランドックにて》より
       《休暇の日々から》第1集
       リヴィアのキリスト像の前のラバ引きたち
         ~《セルダーニャ》5つの絵画的練習曲
       演奏会用の華麗なワルツ「ペパーミント・ジェット」
       
 ドビュッシー/前奏曲集第1巻

《アンコール》
 スカルラッティ/ソナタ ホ長調K.380
 グラナドス/スペイン舞曲第5番アンダルーサ(祈り)


まさに、文字通りの巨匠芸、巨大な匠の芸術に胸が一杯になった。チッコリーニは今年87歳。優雅に杖をついてステージに現れ、ゆっくりとピアノの脇にそれを掛け、弾き始める。

技術的には超絶的なヴィトルオーソだった頃からすると後退した面もあるかもしれないが、それは技巧で聴かせるという性格が薄くなっただけで、まだまだ驚くべき水準を保っていた。けっして、この齢にしてはというレベルではない。

なにより驚嘆すべきなのは、そのピアニズムがいまだに進化していることだ。悠然とピアノを鳴らし、音色を自在に変化させ、ここぞという時に果断に技巧を発揮するが、そこに作為は全くみられない。結果、きわめて骨太で懐深い印象を受ける。

セヴラックは素朴で田園的な味わいの佳曲で、これらはまずチッコリーニの録音で親しんだものだった。今回の演奏では以前の澄ました佇まいの録音より親密で温かみのある印象だった。

ドビュッシーの前奏曲では、響きを噛みしめパッセージを着実に積み上げるようで、それにより音楽が絵画的な感覚美以上に、精神性を備えた立体的構造物として迫ってきたように思う。そのため、なにかベートーヴェンの後期ソナタやリストの作品でも聴いたような気分になった。例えば、第7曲「西風の見たもの」や第10曲「沈める寺」のドラマティックな表現とそこから喚起されるイメージはどんなピアニストの名演よりも壮大なものだったように思う。また、時折、一転して洒脱な味わいを表出したりもする。前奏曲の多面的な魅力が際立つ名演だった。

そして、絶美のタッチで奏でるスカルラッティは精神的な自由さを、十八番のグラナドスのアンダルーサは力強く人生肯定を謳っているように思えた。

音楽が演奏が上質だったという以上に、人間というのはここまで到達できるのだと感じ入り、励まされるようなリサイタルだった。優れた音楽と言うのは、本当にこういう力があるのだ。

スタンディングオベーションに包まれた終演後、圧倒された心地で隣の席の年配の男性と思わず顔を見合わせた。「凄いですね。今日のため北海道から来ました。」「こんな風に齢を重ねたいものです。私は山口から。」

ciccolini2012.jpg
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