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"放蕩息子" W.F.バッハの鍵盤作品集

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大バッハの長男、ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ(1710-1784)の鍵盤作品集がNAXOSより続けて2枚出ましたが、これは個性的で滅法面白い聴きものです。

①W.F.バッハ:鍵盤作品集 第1集
・12のポロネーズ F.12
・鍵盤のためのソナタ ニ長調 F.3
・幻想曲 イ短調 F.23
 ロバート・ヒル(フォルテピアノ)
 (Naxos 8557966)

②W.F.バッハ:鍵盤楽器のための作品集 第2集
・シンフォニア ハ短調 Fk15
・フーガ第1番ハ長調 Fk31/1
・フーガ第2番ハ短調 Fk31/2
・ファンタジア ホ短調 Fk21 他
 ユリア・ブラウン(チェンバロ)
 (Naxos 8570530)

例えば①の12のポロネーズ。テンポは全体に揺らいでいて、くすぐったかと思えば、ふらつき、躓いてあわや声部がほつれそうになるや、気を取り直す。一見、気紛れで出鱈目なようでいて不思議に帳尻が合っている。4曲目は"ウェーベルン風の小品”などと演奏者自身によるライナーノートは書いているが確かに半音の使い方など独特で現代的な緊張感がある。この辺の呼吸を押さえたヒルの演奏は実に見事で、ピアノフォルテ独特の、軽く、後に引かない響きがリズムのうつろいを際立たせています。

そして②に収録された幾つかのファンタジアでは、執拗に重ねられる半音階のパッセージが幻惑的で、どことなく大バッハの「半音階的幻想曲とフーガ」を思わせるが、不安定で取り留めない分、酩酊感が増しています。ブラウンのチェンバロは落ち着いた余韻を備えた響きが素晴らしく優れたもの。幻想曲 F.23はどちらのCDにも収録されているので、両者を面白く聴き比べられます。

大バッハは、このフリーデマンの才能をとりわけ高く評価し、幼少の頃より熱心に教育しました。彼が長男のために書いた「クラヴィーア小曲集」の中の数曲は「平均律クラーヴィア曲集」や「インヴェンションとシンフォニア」の元になっています。英才教育の効果は十分に現れ、フリードリヒは才気溢れる鍵盤楽器奏者として人気を博し、教会のオルガニストの職を得ました。しかし、父の死後、身を持ち崩し、自ら職を辞して、その後は定職を得ることなく放浪生活を続け、貧困のうちにベルリンで74歳の生涯を終えました。

彼は、相続した父の貴重な自筆譜を晩年の貧窮の中で散逸させてしまったため、現在でも評判が良くないようです。以下、日本語版Wikipediaより引用します。

父親からこの上ない期待と惜しみない愛情をかけられたが、それだけ過保護に育てられたため克己心がなく、しかもむやみと夢想家で、才能に恵まれていたにもかかわらず、虚栄心からそれを活かせず仕舞いであった。......

フリーデマンは、不安定な生活基盤とだらしない性格から、父親や成功した弟たちとは違って、一生の間に着実に創作様式を発展させるということがなく、.....


身を持ち崩して窮死したのはモーツァルトもムソルグスキーも同じなのだが、これはあんまりな書かれ方でいささか彼が気の毒に思えます。この説教臭い非難にはどの程度根拠があるのだろうか。英語版Wikipediaにはこのような記述はないのですが。

確かに有名な肖像画を見ると、鬘も着けずに微笑む表情は、いかにも気楽な遊び人風で、円満な成功者だった次男カール・フィリップ・エマヌエルや、メーソン会員然とした実務家の末子ヨハン・クリスティアンとは対照的です。

しかし、あえて放蕩者の肩を持つならば、即興性に溢れた彼の音楽には「だらしない性格」よりも厳格な父の作品を意識した創意が感じられます。

音楽史におけるバロックは、教会合唱をベースにしたポリフォニックな「横線の音楽」が、鍵盤楽器をベースにしたホモフォニックな「縦線の音楽」に移行する時期といえるでしょう。その中、父である大バッハは「横線」に拘り続け、もはや時代遅れになった対位法に執着していました。

そして、フリードリヒの生きた時代、既に「縦線」の音楽が主流として浸透し、バロックから古典派へ移ろうとしていました。そんな中、子供の頃に父から「横線」の基礎を徹底して叩き込まれた彼は、そう簡単に「横線」を捨て、スッキリとした「縦線」の音楽へは移りたくなかったのでしょう。しかし、いまさら「横線」路線で父の後を追い、父の作品を超えることはできない。そこで彼がとった方法は、得意の即興的なスタイルを横線に組み込むこと。これにより「横線」の流れを活かしつつ、父の作品ほどきっちりとした秩序に縛られず軽やかさを実現する。彼はおそらく自分の独創性に自信があったのでしょう。モーツァルトと同様、彼も一時は売れっ子だったので保守的な坊主どもの下で大人しく仕えることを嫌い、野心的により良い職を探したのだが、結局、彼の個性は時代の趣味に合わず苦労します。多分、彼の作品の世評は「スタイルが古い。取りとめがなく分かりにくい。」といったものだったのでしょう。結果、多作だったにもかかわらず出版され残っているものは少ない。末路はモーツァルトのようだが異なるのは長生きしたことでしょうか。それが幸せだったかは分からないが。

「放蕩者のなりゆき」は、おそらくはこんな事情だったと私は推察しています。

フリードリッヒの鍵盤曲を聴くと、常に親父の作品(例えば「インベンションとシンフォニア」や「半音階的幻想曲とフーガ」等)が意識されていて、なにか本歌取りのような印象すらあります。作品目録をざっと見るに、カール・フィリップやヨハン・クリスティアンより残っているずっと作品が少ないものの、フーガやファンタジアなど父好みの形式の曲が目立ちます。

こういう彼の音楽は今でも一般的には「構成力が無い。深みに欠ける。」と評されるのでしょう。しかし、私が思うに、彼は父の作品のような一貫性や精神性をあえて避けていたように思えます。結局、音楽の上では偉大な父の影響を一番受けてしまったが故の”放蕩”といえるのではないでしょうか。

***

ところで、気紛れな即興性で聴き手を宙吊りにするフリーデマンの個性は誰かに似ていると感じていましたが、ようやく思い当たりました。ピアニストのエリック・ハイドシェックです。ハイドシェックが弾いたフリーデマンの録音などないのでしょうね。そういえば顔つきもどことなく似ているように思えます。
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