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エリシュカ&札響のオール・ドヴォジャーク・プロ

先日、エリシュカ&札響によるオール・ドヴォジャーク・プロを2日にわたって聴いた。これぞ鉄板コンサート。

札幌交響楽団 第548回 定期演奏会
~R.エリシュカ チェコ音楽シリーズvol.5~

2012年4月27日(金) 19:00~
2012年4月28日(土) 15:00~

会場:札幌コンサートホールKitara

指揮 ラドミル・エリシュカ(首席客演指揮者)

曲目:
ドヴォルジャーク スケルツォ・カプリチオーソ op.66
交響詩「野鳩」 op.110
交響曲第9番ホ短調op.95「新世界より」


ドヴォジャークは換骨奪胎の名手で、先人のスタイルを取り入れた作品を数多く残している。例えば昨年聴いたスターバト・マーテルにも、バロック、古典派からロマン派まで様々な様式が入り交じっていた。これはドヴォジャークがオリジナリティに乏しい剽窃家だったというより、生真面目な勉強家だったことを示している。

ドヴォジャークの作品の中でもとりわけ人気が高いのは、今回演奏された「新世界」交響曲、それにチェロ協奏曲と弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」だろう。これらは、いずれもドヴォジャークの米国生活を反映した作品で、親しみ易い主題を特徴としている。ドヴォジャークは、滞米中、現地の音楽に強い興味を示し、特に黒人霊歌やフォスターの歌曲を好んだという。ドヴォジャークは生来優れたメロディ・メーカーだが、特にアメリカ時代の3曲が我々の耳に馴染むのは、欧風とは肌合いの異なる米国的なポピュラリティを換骨奪胎したからだろう。しかし、このシンプルな魅力は反面、危うい通俗性にもなる。

「新世界」交響曲は、長く鼻白むような通俗名曲とみられてきた。
例えば有名な2楽章は、コールアングレで奏される「家路」だけでなく、他のパートも過剰なほど旋律豊かだ。だが、それだけにかえって難物ともいえる。多くの指揮者は、これらの旋律を効果的に歌わせることに注力するだろう。しかし、そうすることでむしろ通俗性が強まり、「家路」のメロディに気の利いた伴奏がついた平板な音楽に堕してしまうことも多い。

今回、エリシュカの「新世界」を聴いて改めて思ったのは、響きのパースペクティヴだ。この2楽章では、コールアングレの主題が郷愁を誘う一方、弦の旋律は慎ましやかに抑制されている。この音響的な遠近感の巧みさ。表立って情緒的に歌うでもない。かといって歌心が乏しいわけではない。美しい旋律が喚起するのは情感だけではない。奥に控えても耳をそばだたせるような感興があり、全体としては精妙なポリフォニーとなって響きに奥行きと広がりを生んでいる。例えていうなら染付の磁器のようなもので、名品は肌合い美しさが文様を浮き立たせ、質感に深みが加わるのだが、同じ絵柄でも、これが絵も地もくっきりとフラットだったらワゴンセールの安物となるだろう。

これ以上ない程にゆったりとしたテンポの2楽章(東フィルとの演奏よりさらに遅く感じた)を聴いて、こんなことを思った。これは2楽章ばかりではない。エリシュカが振ると雄弁な旋律も、時に交響的テクスチャに仕える役にまわるが、それにより表に立つより全体として説得力を増すのだ。これはやはり名人芸なのだなと思った。

しかし、これはエリシュカの個性的な解釈というよりは、本来、ドヴォジャークの音楽とはそういうものではないだろうか。例えばプラハ弦楽四重奏団の演奏で弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」を聴いてみるといい。特に2楽章や終楽章の素朴なコラール風の旋律が現れるところなど。この旋律の絡み合いから生まれる響きの質感は、エリシュカの「新世界」と同種のものだと気づくだろう。

スケルツォ・カプリチオーソと交響詩「野鳩」については、おそらく「新世界」ほど演奏経験がないからだろう。1日目は技術的にまだこなれていない不満もあったが、2日目の演奏は十分な完成度だった。

スケルツォ・カプリチオーソは、おそらく札響初演。これも華やかで、頻繁に弦と管のくすぐりが交錯する意外に手強い曲だが、昨秋のラプソディ特集の時と同様、オケから活き活きとしたノリを引き出していた。

札響による「野鳩」は、2008年に、やはりチェコの名匠として知られるマルティン・トゥルノフスキーの指揮で聴いた。随分前のことなので両者を詳細に比較することはできないが、トゥルノフスキーの解釈は、とても折り目正しくこじんまりしたもので「野鳩」は地味な曲だけにやや物足りなく、同時に演奏したブラームスの交響曲第4番の方が印象深かったと記憶している。

一方、今回のエリシュカによる「野鳩」は、交響詩の物語の展開が見事で、「新世界」と同様、よく計算された響きのパースペクティヴが要所で絶妙な効果を生んでいた。また、札響に対してはこれまで以上に踏み込んだ表情付けをしていたようにも感じた。

札響は今回も良い仕事をした。プロに対し甚だ失礼ながら、やはり札響は健気だと感じた。両日共に「お仕事」という醒めたところが全くない。我らがマエストロに精一杯応えようという熱気は札響独特のもので、それは表現に十分現れていて、聴いていて清々しいものがあった。

それにしても、よく考えるとエリシュカはまことに不思議な指揮者だ。この指揮者は、気分によるムラが少ない職人タイプの音楽家だ。奇抜な解釈はなく、どのオケに対しても、どの作品に対しても、手法は常に一貫しているように思う。だから長く付き合っていると、どのような演奏となるか、なんとなく予想がつくようなところがある。しかし、実演に接する度に必ず新たな発見がある。「この作品は本来こういうものなんだよ」と講義を受けているかのようだ。改めて畏るべしと思う。

なお、本演奏会はライヴ録音されており、これまでと同様、CD化が予定されている。
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