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ヤナーチェク「十字軍」としてのオットー・クレンペラー(1)

20世紀を代表する大指揮者、オットー・クレンペラー(1885-1973)の評伝を読んだ。

オットー・クレンペラー あるユダヤ系ドイツ人の音楽家人生
エーファ・ヴァイスヴァイラー (著), 明石 政紀 (翻訳)
みすず書房

クレンペラー本

クレンペラーに関しては、本人とも面識があった英国の批評家ピーター・ヘイワースが決定版ともいえる大部な評伝を著しているが、これは残念ながら邦訳されていない。本書は、主に戦前の活動に重きを置き、ドイツ人女性らしい視点からクレンペラーの人間性や彼を巡る女性、ワイマール期の状況に関して、ヘイワースへの批判・修正を随所に交えながら詳述している。

私がこの本を読んで特に興味深かったのはヤナーチェクとの関係の深さだ。以下、本書に加えヘイワース本や何冊かのヤナーチェク関連文献によりクレンペラーの功績についてまとめてみたい。

*****

クレンペラーはヤナーチェクにとりチェコスロヴァキア国外における最大の擁護者だった。クレンペラーは、単なる演奏者という以上に、ディーリアスにとってのビーチャムと同様、並み居る敵対者と正面から戦う「十字軍」だった。

クレンペラーの指揮者としてのキャリアはプラハから始まる。当時、彼にとってアイドルだったマーラーから推薦状を得て、22歳でプラハの新ドイツ劇場(※1)の楽長に就任したのだ。その後、ハンブルク歌劇場、バルメン(現ヴッパータール)歌劇場、ストラスブール歌劇場、ケルン歌劇場、ヴィースバーデン歌劇場、そしてクロル歌劇場へと移り、持病の躁鬱病に悩まされながらも、同時代の作品を精力的に取り上げ、名声を高めていった。

※1 現プラハ国立歌劇場(共産時代の名称:スメタナ劇場)。当時のプラハは言語によりチェコ人社会とドイツ人社会に分化しており、両者が棲み分けられていた。ドイツ劇場はドイツ人用の劇場で、プラハ国民劇場がチェコ人用だった。なお、新に対し旧のドイツ劇場は、モーツァルトのドン・ジョバンニが初演されたスタヴォフスケー劇場(ティル劇場)のこと。

●ケルン歌劇場時代(1917-1924)

クレンペラーのキャリアの中で、クロル歌劇場時代と並び重要なのがケルン歌劇場時代(1917-1924)だ。クレンペラーは、ケルンで同時代の作品(※2)を積極的に取り上げ、ヤナーチェク作品への情熱もここから始まる。クレンペラーは、ヤナーチェクの作品の中で、まず『イェヌーファ』のドイツ初演を敢行した。

※2 ブゾーニの『トゥーランドット』『アルレッキーノ』、ツェムリンスキー『こびと』、プフィッツナー『パレストリーナ』、シェーンベルク『月に憑かれたピエロ』、シュレーカー『イレローエ』等

『イェヌーファ』は、ヤナーチェクが自らのスタイルを確立した出世作で、1904年にブルノで初演された。ヤナーチェクは『イェヌーファ』のプラハ上演を熱望したが、プラハ国民劇場は、以前に彼から自作を辛辣に批評されたカレル・コヴァジョヴィッツが仕切っていたため、長く上演を拒絶され続けた。それでも友人の尽力により1916年5月、ようやく念願のプラハ初演に漕ぎ着け、大成功する。カフカの友人としても知られるユダヤ系作家、マックス・ブロートは、この上演を観て感激し、『イェヌーファ』の台本をドイツ語に翻訳する。(※3)そして、これによりウィーンの大手楽譜社ウニヴェルザールが『イェヌーファ』のスコアを出版した。

※3 ブロートに『イェヌーファ』を観るように薦めたのはドヴォジャークの娘婿で作曲家のヨゼフ・スークだった。同年10月にプラハ訪問中のR.シュトラウスもスークに勧められて衣装稽古を観て、ヤナーチェクと会い、作品を賞賛している。

折しも、オーストリア=ハンガリー帝国は、1916年に皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が亡くなり、第一次大戦では敗色が濃くなっていたため、国内の民族融和を演出すべくウィーン宮廷歌劇場でスラヴ作品の上演を検討していた。そして、1918年2月にウィーンで『イェヌーファ』の国外初演が実現した。この上演はドイツ民族派の抵抗もあり大成功とは言えなかったが、これによりヤナーチェクは国際的に認知された。

同年11月16日にケルン歌劇場でクレンペラーが演奏した『イェヌーファ』は、ウィーンに次ぐ国外上演だった。これはチェコ人がオーストリア=ハンガリー帝国の崩壊を機に独立を達成した直後だったので(※4)、ドイツ国内でチェコ作品に対する反発はきわめて強かった。ケルン歌劇場の合唱団は「ドイツの緑の野を荒らし、ドイツ女性を凌辱する連中と同郷の者のオペラ」など歌えないと抗議した。初日、この特異な作風のオペラに対する聴衆の反応は、第2幕まで戸惑い気味だったが、第3幕では喝采に変わり、上演はセンセーショナルな成功に終わった。クレンペラーは、この勝利を喜び、ブゾーニに手紙で興奮気味に報告している。しかし、18日付のケルン日報は、「この音楽の未熟さはボヘミア人(※5)が真の芸術家ではなく楽士にすぎない証である」とこき下ろした。一方、23日付のライン音楽劇場新聞は、「無文化なスラヴ人の厚顔無恥に深く傷ついている」時勢にこのような作品が上演されたことは遺憾であるとしながらも、「根源的な心情の発露に対する鋭敏な感覚」に感銘を受けたことは認めざるえない、と記している。

※4 チェコスロヴァキア共和国が誕生したのは同年10月28日、チェコスロヴァキアがドイツ領だったズデーテン地方を支配下に置いたのは11月10日である。

※5 ヤナーチェクはボヘミア人ではなくモラヴィア人である。

その2年後の1920年にはクレンペラーは『ブロウチェク氏の旅』の上演も画策している。彼は、台本の翻訳をブロートに依頼したが、チェコ人の民族的栄光を讃えた2部の内容が問題となり断られている(※6)。

※6 『ブロウチェク氏の旅』のドイツ初演は、1959年にヨーゼフ・カイベルト指揮のバイエルン国立歌劇場でようやく実現する。この時のライヴ録音はCD化されている。

そして1922年12月8日、クレンペラーは、ケルン歌劇場で『カーチャ・カバノヴァー』を上演した。これは、ブルノでの初演(1921.11.23)の1年後、プラハでの上演(1922.11.30)の1週間後で、もちろん国外初演である。この上演も『イェヌーファ』の時と同様に反対派の厳しい攻撃にさらされた。ある批評家はヤナーチェクの名前をあえてドイツ風にJanatschekと表記した上で、この未熟な音楽家を排斥せよと訴えた。不運にもドラマトゥルクのフェリックス・ダーンが病気になり、クレンペラー自身も体調不良に悩まされたため、下稽古のほとんどは助手のヴィルヘルム・シュタインベルク(※7)が担当した。こうした事情もあって上演日程が遅延したため、『カーチャ』の上演は、クレンペラーが初日を振っただけでお蔵入りし、彼は初日後すぐにローマへの演奏旅行に発たなければならなかった。

※7 後に亡命し米国で活躍したユダヤ系指揮者のウィリアム・スタインバーグである。


●『シンフォニエッタ』

ヤナーチェクの作品中でいまや最も有名な『シンフォニエッタ』は、街頭で聴いた軍楽隊や民族主義的な体育団体「ソコル」へのファンファーレの依頼をきっかけに構想が膨らみ、1926年3月から僅か一ヶ月で描き上げられ、同年6月にヴァーツラフ・ターリヒ指揮のチェコ・フィルにより初演された。7月13日、クレンペラーは、「作曲家、レオシュ・ヤナーチェク様、ブルノ」とのみ宛名書きした手紙を書き、その年明けに計画している米国への演奏旅行でこの作品を演奏したいと願い出た。これはクレンペラーがヤナーチェクに直に連絡した最初だった。ヤナーチェクは「私は貴方とは面識がないが」と丁重に書きながらも快諾した。

クレンペラーは、12月9日にヴィースバーデンで『シンフォニエッタ』のドイツ初演を行った。聴衆の反応はいま一つで、クレンペラーは「この音楽とサウンドは新しすぎるのだ」と楽譜出版社ウニヴェルザールに書き送っている。なお、クレンペラーはヴィースバーデンで『利口な女狐の物語』の上演を考えていたが実現しなかった。

1927年1月、クレンペラーは2度目の米国旅行に出発し、3月4日にニューヨーク交響楽団で『シンフォニエッタ』を演奏した(※8)。

※8 ちなみにニューヨークのメトロポリタン歌劇場では1924年に『イェヌーファ』が上演されている。

また、クロル劇場時代の1929年、クレンペラーは、モスクワ旅行で『シンフォニエッタ』をソビエト初演している。クレンペラーは、この作品のスラヴ性がロシア人にアピールすると期待していたが、全くの不評に終わった。「プロレタリア音楽家」誌は、作曲手法が荒っぽく機械的だと批判し、「音楽と革命」誌は「音楽は新鮮で誠実だが、展開の貧困、形式の軽さ、文字通り交響的思想の欠如(※9)は何としたことだろう」と結論づけた。

※9 曲名が"Sinfonia(交響曲)"ではなく、"Sinfonietta(小交響曲)"であることを揶揄している。

なお、クレンペラーの『シンフォニエッタ』は次の2種類のライヴ録音がCD化されている。現在入手できるクレンペラーのヤナーチェク録音は、これだけである。

①コンセルトヘボウ管弦楽団(1951年、アムステルダム・コンセルトヘボウ)
②ケルン放送交響楽団(現WDR交響楽団)(1956年、ケルン西部ドイツ放送館)
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