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札幌交響楽団の英国公演評

今月、札幌交響楽団は、50周年記念のヨーロッパ公演のため、ドイツ(ミュンヘン、デュッセルドルフ)、イギリス(ロンドン)、イタリア(サレルノ、ミラノ)を巡回している。

5月23日にロンドンのロイヤルフェスティヴァルホールで行われた英国公演について、新聞評が2つ出たので試訳してみた。いずれも好意的な4ツ星評価で、武満の繊細な響きに酔い、諏訪内晶子の華やかな技巧に圧倒されながらも若干腑に落ちないものを感じ、ショスタコーヴィッチの第5交響曲から震災に想いを寄せる、という文脈は共通している。

まずはテレグラフ紙、イヴァン・ヒューウィット氏の評。

***
Saturday 28 May 2011
The Telegraph
Sapporo Symphony Orchestra, Festival Hall, review
Ivan Hewett
http://www.telegraph.co.uk/culture/music/classicalmusic/8533853/Sapporo-Symphony-Orchestra-Festival-Hall-review.html

札幌交響楽団 フェスティヴァルホール レヴュー
4ツ星

「そつなくグーロバル化したオーケストラについてばかり語られるなか、いまだに私は来英するオケに何かそれらとは違ったものを期待している。日本の札幌交響楽団によるコンサートは、確かにその独特なナショナルカラーを裏付けた。見る限り日本人以外の演奏者は居なかった。

私は日本の典型的なサウンドを期待していた。つまり、よく練習され、繊細で、機転のきくもの。米国のオケに見られるような野放図な個性に悩まされずにすむものだ。私の先入観を認めるかのように、オーケストラは、日本の作曲家、武満徹の晩年の作品「ハウ・スロー・ザ・ウィンド」でコンサートを始めた。

武満徹の精妙なポストドビュッシー風のゆらめきを聴いていると、羽毛で延々と撫でられているような心地がする。人によっては彼のことを少しも真に受けられないに違いない。

この美しい演奏は、武満の羽ばたくような響きが何か不朽のものを意味できると思わせるものだった。彼の多くの作品と同様、この曲も自然が呼び起こされるように開始された。しかし、終結に向けて減衰する仕草が、二人のソロ(残念ながら名前は不明だが)の美しく自己主張を控えた優しさで、辺りを包む靄に沈み込まれると、マーラーの第九交響曲の終楽章のように、美しきものへ惜別を示した。

これがこのコンサートの頂点だった。続くブルッフのヴァイオリン協奏曲では、地上に引き戻された心地がした。ソリストの諏訪内晶子はの技術的レベルにおいては疑いなく最高に印象的だった。彼女の最初のフレーズは、憂愁にみちたG弦から見事に雄々しいラインをくっきりと描き出し、私は何か途方もないものに出会ったと思った。問題は、人間の自然な綻びを鋼のように強い雰囲気からおくびにも覗かせなかったことだ。緩徐楽章で豊かな表情が降りてくる瞬間は本当にあったか? どうして?それらは、感じられたものというより学習されたものに感じられた。

ショスタコーヴィチの交響曲第五番では、感情のこもった感覚が再び押し寄せてきた。ウェールズBBCナショナル管弦楽団との長い付き合いから、英国の聴衆によく知られている指揮者の尾高忠明は、極端に走る指揮者ではない。私は、第一楽章に、もっと良い味付けで気味悪い諧謔的瞬間を聴いことがある。しかし、この緩徐楽章のような息詰まるような雄弁さで表現される悲劇的なセンスはめったに聴いたことがない。あたかも、涙にあまる深い想いで喪に服しているかのようだ。

演奏後、尾高は、日本の震災における同胞の苦しみを我々に思い起こさせ、記念にエニグマ変奏曲からニムロッドを演奏した。だが、既にショスタコーヴィチが全てを語っていた。」




次にガーディアン紙、マーチン・ケトル氏の評。

***
25 May 2011
The Guardian
Sapporo SO/Otaka - review Royal Festival Hall, London
Martin Kettle
http://www.guardian.co.uk/music/2011/may/25/sapporo-symphony-orchestra-otaka-review

札幌交響楽団/尾高忠明指揮 ロンドン、ロイヤルフェスティヴァルホール レビュー 
4ツ星

「札幌交響楽団のロンドン日程は3月の大震災のずっと前から予定されていた。しかし津波のため、北海道に拠点を置くこのオーケストラの50周年を祝う滞在は慈善公演になった。音楽活動は、日本の他の分野と同様、徐々にだが立ち直りつつある。このことにより、必然的に感情の込められた夜になり、白熱した演奏(特にショスタコーヴィッチのいみじくも不屈の第5交響曲)が繰り広げられた。

札幌交響楽団は事前にプログラムをアナウンスしていたので、瞑想的な意味で特別な境地を誘う日本の作品、武満の「ハウ・スロー・ザ・ウィンド」がコンサートで取り上げられることに驚きはなかった。強固な構成と内在する抑制をもって、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」がこだましながら、哀愁を帯びたフレーズがいつまでも巡る1991年の作品は、このオーケストラの繊細なところを示した。

これに続くブルッフのヴァイオリン協奏曲ト短調でも、おそらく全く同様だった。ただ、この曲は感情をずっとあけすけに示す。諏訪内晶子はこれを万全に処理した。これは愛すべきというよりは眩いばかりの演奏で、絶え間ない華やかさに、武満の抑制とニュアンスを求める向きもあったかもしれない。

ショスタコーヴィチ演奏は、秋にアンドリス・ネルソンズがロンドン交響楽団と打ち立てた点数の前には、どれも影が薄くなりがちだ。しかし、尾高と彼のオーケストラは、ほとんど同じ土俵に立つものだった。彼らの演奏の引き締まった慎ましさは、大変説得力のあるもので、とりわけ札響の弦が印象的だった。ショスタコーヴィッチの5番はロシアの暗い時代において音楽の価値を主張したものだ。このメッセージは今日の日本にも当てはまった。」



「ハウ・スロー・ザ・ウィンド」とショスタコの5番は、私も今年2月の定期で聴いた。
「ハウ・スロー・ザ・ウィンド」は、「ファミリー・ツリー」とよく似た晩年の作品。武満独特の繊細な響きは美しいが、少々情緒的で気恥ずかしくもある曲だ。いかにも日本人好みな洗練と感傷のハイブリッドを欧米人がどう聴いたかは興味あるところだったが、ドビュッシー風の響きは高評価を得たようだ。ヒューウィット氏が 「人によっては彼のことを少しも真に受けられないに違いない。」(some people just can’t take him seriously.)とちょっぴり本音をのぞかせているのも面白い。

ケレン味がない尾高のショスタコは、正攻法がストレートに聴衆に訴えたようだ。たしかに、ひねた諧謔味は少なめで、知人のショスタコ・ファンは、「随分、淡白な演奏だなぁ」と言っていたが、マーラーの影響を受けつつマーラーよりずっと音楽が筋肉質な分、緊密なアンサンブルを純粋に楽しめる演奏だったと思う。もちろん、その時は、この曲が大きな悲劇と重ねられて聴かれることになるとは思いもしなかったが。

かつてハイフェッツが所有していたというストラディヴァリで弾かれる諏訪内晶子のブルッフは、6月4日の帰国公演で是非聴いてみたい。
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