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ヤナーチェクに関するニューヨーク・タイムズの記事(1924)

以下は、ニューヨーク・タイムズの1924年7月13日、日曜版に掲載されたヤナーチェクに関する記事の訳である。米国の音楽評論家オリン・ダウンズ(当時37歳)は、ブルノの自宅にヤナーチェクを訪ねインタヴューを行った。この日の記事ではヤナーチェクとともにアロイス・ハーバ等も紹介されていた。

インタヴューでは、ヤナーチェクがワーグナーやドビュッシーについて率直に述べていて興味深い。先日紹介したクンデラのエッセイもこの記事を踏まえているように思える。

***

現在70歳のヤナーチェクは、白髪だがとても精力的で、理解されずに食い詰めているような夢想家タイプでは決してないが性格的に純粋なところがある。彼の主調音は人生における生き生きした理想主義と歓喜である。今回、ブリュン(※ブルノのドイツ名)にある彼の小さな家に彼を訪問したのはいろいろな意味で興味深いことだった。ヤナーチェクは彼のためブリュンの音楽院の敷地に建てられた宿舎に住み、音楽院で毎日数時間教え、残りの多くの時間を国内を巡り、作曲することにあてている。彼が成功するまでには長い道のりがあった。20年前ブリュンで初演された『イェヌーファ』は1916年にプラハで初演され、以来、ヨーロッパ各都市の劇場で演奏されているが、それまでは大した成功には恵まれなかった。現在の待遇と幸福に対する彼の喜びようは見せかけではなく素直なものだ。記者は彼のもとを訪れ会見した。

ヤナーチェクは自作のオペラの演奏を聴くためウィーンやプラハ、ベルリンまでしばしば汽車で足を伸ばす。彼は、近頃、自作を楽しむ全ての機会を逃したくないと友人に語っていた。長年、そのような機会を得られずに過ごしてきたからだ。我々と話す間、作曲家はページ毎に速記で走り書きされた自分のノートを引っ張り出してきた。「これはすずめだ」彼は笑いながら語り、ページをめくる。「木、それに鐘だ」次のページは「孔雀や他の鳥の歌だ。最近、展覧会で観た。」そして「駅のソーセイジ売り」「これは乳母車の子供、そして...」 力強く走り書きしてある。「これが君がしゃべった”Yes”だ」 それらは紙に書きつけてあった。ヤナーチェクは、彼の作品にこれらのモチーフを使用したことは決してなく、世に知られたメロディを使ったこともないと強調して何度も言った。「これこそ」と彼は言う。「なにより言いたいことなのだ」 彼は早口ではっきりとしたチェコ語で話す。そこにはネイティヴ独特のメタファーが込めているが、よほど親しい弟子でなければ理解できず、英語に訳すのが難しいものもある。

「どのような作曲家があなたに影響を与えましたか?」との問いに、彼は簡潔にこう答える。
「誰も」
「では、誰を最も評価しますか?」
「ショパンとドヴォジャークだ。」
「スメタナよりドヴォジャークですか?」
「私にとっては、そうだ。」
「どんなオペラがお好きですか?」
彼は昨年初めてムソルグスキーの『ボリス・ゴドノフ』を聴き、絶賛していた。お気に入りは、このオペラとシャルパンティエの『ルイーズ』だ。だが『ルイーズ』にはそろそろ飽きてきた。
「で、ワーグナーは?」
「いいや。それは彼がシンフォニックすぎて、オケが舞台を占拠しているためばかりでなく、動機のシステムがあまりに細かく、弾力性を欠いているからだ。ある動機がある登場人物に変わることなく付随する。たとえそれが変奏されるにしても、常に移ろう感情や作曲家が描きたい登場人物のモチーフを明かすには、手数(てかず)も柔軟性も足りないのだ。」
「『ぺリアスとメリザンド』はお好きですか?」
「ある点ではね。だが旋律が少なすぎるよ。あまりにスピーチが多く歌が少ない。旋律は音楽に欠かせないのだ。私はドビュッシーが信じる以上に、シンフォニックなスタイルと音楽的な語法のバランスを好んでいる。私のオペラのあるところでは、オケが歌手から楽句を引き継ぎ、展開させる。この楽句は絶対に真実味のあるもので、そのような場合、楽器は人間の声には出来ないような意味合いを持つのだ。オペラは、偽りなき語りと、作曲者が創造的な魂から発展させた歌の両方に等しく基づく組織的な総体であるべきなのだ。」

イェヌーファについては来シーズン、ニューヨークで上演されたおりに語らなければならないだろう。ヤナーチェクの理論や劇的なスタイルはチェコスロヴァキア本国やオーストリア、ドイツの一部と同様、強烈な印象をアメリカでも引き起こすだろう。イェリッツァ夫人(※Maria Jeritza, 1887-1982, ブルノ出身の世界的ソプラノ歌手)がタイトルロールを歌った彼のオペラは、チェコ人のアーチストが監修した舞台装置に、モラヴィアの農婦の手による見事なデザインと刺繍がほどこされた衣装が用いられる予定で、それについてはまた別に記することになるだろう。

ヤナーチェクが真実の音楽家で強い劇的な力を備えていることを示す音楽は合唱曲「七万」である。この曲はプラハ教員合唱団により演奏され、忘れ難い感銘を与えてくれた。この曲はチェコの7万人の坑夫たちの苦悩を歌っている。彼らはシレジアにあって一部をドイツに一部をポーランドに支配されていた。彼らは泣く。「われら七万のチェコ人がいる。奴らはわれら七万人の墓を掘っている。でも生きるのだ!」。これは傑作であり、素晴らしいアマチュアの教員合唱団が、メソド・ドレチルの達者で熱意に溢れた指揮の下で歌うと圧倒的な演奏効果を生む。あるパッセージは40人程の歌手ではなく戦争を予言する数千の声のようだ。クライマックスに近づくにつれ、リズムが交錯し、テナーの高く苦しい声域が用いられることで、強烈で不均一な興奮を喚起するのだ。「でも生きるのだ! でも生きるのだ!」この叫びは、力強く唐突でありながら、まるで感情が爆発し投げつけられたように断固たるものだ。

(Charles Susskind: Janacek and Brod p.84 より)
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