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最もノスタルジックなオペラ~クンデラの「めぐり逢い」を読む(2)

クンデラの最新エッセイ集「めぐり逢い」の中のもう一編、「最もノスタルジックなオペラ」では、『利口な女狐の物語』の幾つかの場面を例に、ヤナーチェクがオペラ作品においてどのように音楽に主導的な役割を与えたのかについて論じられている。

その場面とは、序曲の冒頭や、2幕で泥酔した校長先生が想いを寄せる女性と間違えてヒマワリを口説くシーン、3幕、居酒屋で森番と校長先生、パーセクのおかみさんがしんみり語り合うシーン、そして森番が回想するラストシーンである。いずれもオペラの筋に大きく影響しないがユニークが音楽が付けられているところだ。

少し長いが当会対訳解説書からヒマワリの場面のセリフを引用する。

校長(小道を歩みながら)
 わしの重心が動いてるのかな,
 それとも地球が西から東へ回ってるのかな。
 今日は何かおかしい。
 ・・・・

 ありゃりゃ!(倒れる)
(ビストロウシカがヒマワリの後ろに入りこむ)
(校長はびっくり眼でヒマワリをみつめる)
 スタッカート!【校長の心の中で音楽が鳴る】
(ぎくっとして人差指を高くあげる)
 フラジオレット!
【お気に入りのコントラバスのように,杖の首根っ子をなでる】
(一陣の風,ヒマワリは妖しげに震える)
(校長は驚いて目を上げる)

 ああ,テリンカ! 君にここで会えると分かってたら,
 あんな酔っ払い二人ととっくに別れてたのに。
 わたしを愛してる? さあ,言ってくれ!
(謎の存在は頭を振る)

 わたしはもう長いことあなたを愛してる,
 わたしの運命は君の手中にある,
そして答えを待ってる!
 恋の炎に燃える,か弱き男を許してくれ!
 わたしは君についてく。この腕に君を抱きしめたい!
(ヒマワリは垣根からお辞儀する)
歌劇『利口な女狐の物語』対訳と解説、関根日出男訳、日本ヤナーチェク友の会編


クンデラは、太字のセリフについて手描きの譜例を添え、この短く何気ない音楽にもストラヴィンスキーばりのどきりとするような不協和音が含まれていることを指摘し次のように述べる。

これが老いたヤナーチェクの智恵なのだ。彼は感情のおける馬鹿げた要素に芸術性が乏しいわけではないことをよく分かっている。校長先生の情熱が真剣で偽りないほどに、この場面はいっそうコミカルで、また物哀しいものになる。(この点、このヒマワリの場面に音楽がないことを想像してみるがいい。滑稽なばかりだろう。薄っぺらで滑稽だ。音楽があってこそ隠された痛みが示されるのだ。)

ヒマワリへの恋歌についてもう少し考えてみよう。このわずか7小節ばかりは反復も回帰もされず長引かされることはない。これは、長い旋律を深め拡げることにより単相の感情状態を増幅させるワグネリアンの主情主義と対極にあるものだ。ヤナーチェクとって感情は強調されるのではなく高度に集中すべきもので、だからこそ短くなる。この世は回転木馬のようなもので、感情は通り過ぎ、回転して、飛び散り、はじけていく。そして、その矛盾にもかかわらず、しばしば間髪入れず手応えを感じさせるだろう。これこそがヤナーチェクの音楽全てに独特な緊張感を与えているのだ。
(Kundera:Encounter 137-138p)


そして、気怠くノスタルジックなモチーフとスタッカートのモチーフがぶつかる序曲の冒頭を例に、整合しない感情的要素が重ね合わされる効果を指摘する。

また、森番にカエルが語りかける幕切れを例に、ヤナーチェクが19世紀のロマンチシズムから脱していることを指摘し、次のように書いている。

19世紀において中欧はバルザックもスタンダールも産まなかった一方、オペラを崇めた。中欧以外では見られない程にオペラは社会的、政治的、国家的役割を果たした。そしてオペラにまつわる諸々、その精神、人口に膾灸した大言壮語は偉大なモダニストたちに皮肉な苛立ちを巻き起こした。例えばヘルマン・ブロッホにとって、ワーグナーのオペラはその虚飾性と感傷性、非リアリズムからキッチュの典型の最たるものだった。

その作品の芸術性において、ヤナーチェクは中欧の偉大な(そして孤立した)反ロマンチシズムの星座に位置していた。彼は生涯をオペラに捧げたが、オペラの伝統や慣習、身振りに対する考えはブロッホと同様に批判的なものだった。
(Kundera:Encounter 141p)


このエッセイは、いささか老いの繰り言めいた「片足走者の長距離レース」よりもずっと面白かった。といっても、ここでクンデラが指摘したことはヤナーチェク好きなら皆感じていることだろう。しかし、クンデラは、それらを明晰な言葉にしてヤナーチェクの芸術を中欧の文化の文脈に位置づける。そこが刺激的だった。「ヤナーチェクとって感情は強調されるのではなく高度に集中すべきもので、だからこそ短くなる。」というのは、まさにこの作曲家の本質だと思う。

ヤナーチェクのオペラを愛する人なら誰でも、ささやかなフレーズに心揺さぶられる思いをしたことがあるだろう。

例えば『利口な女狐の物語』の3幕パーセク亭での校長先生の一言。

パーセク夫人
 うちの人に手紙をよこしたわ。淋しいって・・・

森番(不意に)
 勘定だ,わしは帰る。

校長(驚き,優しい口調で)
 こんなに早くどこへまた?

歌劇『利口な女狐の物語』対訳と解説、関根日出男訳、日本ヤナーチェク友の会編



例えば『マクロプロスの秘事』の第2幕で若い二人を横目に「あの二人、もう寝たのかしら」という会話。人生に倦み果てた337歳のヒロインが漏らす一言。

エミリア
 いずれそうなるってことよ。そんなのとるに足らないことよ。

プルス
 じゃあとるに足るというのはどういうこと。

歌劇『マクロプロスの秘事』対訳と解説、関根日出男訳、日本ヤナーチェク友の会編


確かに、このような味わいは、この作曲家ならではだ。そして、このような箇所を聴きこむほどに発見するのも、ヤナーチェクのオペラを聴く醍醐味といえるだろう。
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