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グラゴール・ミサの古代スラヴ語について

MŠA GLAGOLSKAJA
・・今年はヤナーチェク没後80周年として様々なイベントが企画されているが、特に注目すべきは9月18・19日に大阪のザ・シンフォニーホールで予定されている大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会だろう。先日、初めてのCDをリリースし、名声が一層高まりつつあるチェコの巨匠、ラドミル・エリシュカ氏が今年2度目の来日を果す。

●大阪フィルハーモニー交響楽団~第421回定期演奏会
2008年9月18日(木)、19日(金)
ザ・シンフォニーホール

指 揮:ラドミル・エリシュカ
独 唱:慶児道代(S)
ヤナ・シコロヴァー(A)
ミハル・レホトスキー(T)
マルチン・グルバル(B)
独 奏:室住素子(Og)
合 唱:大阪フィルハーモニー合唱団

ドヴォジャーク:序曲「自然の王国で」 作品91
モーツァルト:交響曲第38番 ニ長調 K.504 「プラハ」
ヤナーチェク:グラゴール・ミサ


これは、実に野心的なプログラムだ。いずれもチェコにゆかりのある作品で、今、マエストロの棒で聴いてみたいと思われる曲ばかりを集めている。マエストロの瑞々しくしなやかな音楽性によりスラブの魅力が存分に発揮されることだろう。

中でも、やはりヤナーチェクのグラゴール・ミサは演奏効果の高い大曲だけに興味深い。この作品の詳細は関根日出男先生の解説に譲るが、これを機会に、この作品で使用されている「古代スラブ語」について少々補足したい。

この作品の歌詞自体は、一般的なミサと同様、通常文なのだが、異例なことにラテン語ではなく古代スラヴ語によっている。この古代スラヴ語は、ラテン語と綴りも音も全く異なり、例えばミサ冒頭のキリエだと以下のようになる。

主よ、憐れみ給え。
ラテン語:Kyrie eleison. (キリエ エレイソン)
古代スラヴ語:Gospodi pomiluj. (ゴスポヂ ポミルイ)

この作品でヤナーチェクが、あえてこの特殊な言語を採用したのは、単に歴史的な古語を使用してみたという以上の意味がある。というのも、この古代スラヴ語は、スラヴ文化の基礎であり、チェコ民族の歴史的な栄光と自立を象徴するものだからである。

***

9世紀初め、モラヴィア王国というスラヴ人の国が成立した。これは、歴史上、チェコ民族が建国した最古の国とみなされている。ドナウ川支流モラヴァ川流域を支配していた初代君主モイミール1世(位830頃-846)は、周辺のスラヴ族を束ね、モラヴィア・スロバキア一帯を支配圏とした。彼らは「モラヴィア人」と呼ばれた。

当時、ヨーロッパのキリスト教は、まだ決定的な分離には至っていないが、事実上3つに分かれていた。すなわち、ビザンツ帝国が後援するギリシャ正教会、俗権の後ろ楯がないローマ・カトリック教会、基本的にはカトリック系だがフランク王国の影響下にあるフランク教会である。カール大帝(位764-814)率いる強大なフランク王国は、周辺国にキリスト教化を迫り、自国の教会から聖職者を派遣することで覇権を広げていった。

もともとモラヴィア人は土着の宗教を信仰していたが、モイミール1世は、隣国フランク王国の宗主権を認め、キリスト教を受け入れた。だが、カール大帝死後、フランク王国が東西に分裂すると、東フランク王国のルードヴィッヒ2世は、モイミール1世を廃し、モイミールの甥、ロスチスラフを即位させる(846年)。しかし、ロスチスラフは東フランク王国からの独立を目指し勢力を拡大した。

ロスチスラフは、東フランク王国から宗教的に独立するため、まずローマ教皇へ協力を打診したが、当時、西フランク王国と対立していた教皇ニコラウス1世は、東フランク王国と良好な関係を保たねばならなかったため、これを断った。そこで彼ははるばるビザンツ皇帝に支援を仰いだ。ビザンツ帝国は隣国ブルガリア王国への対抗上、モラヴィア王国との同盟が有利であったため、これを受け入れ、ギリシャ人の2兄弟、キュリロス(コンスタンティノス)とメトディオスを派遣した。

学識豊かなキュリロスは、「スラヴ人の言葉により真のキリスト教を布教する」というモラヴィア側の要請に従って、スラヴ語を表記する文字「グラゴール文字」を考案したとされている。彼はこの文字を用いて聖書を古代スラヴ語に翻訳し、これがその後のスラブ世界の文章語の基礎となった。一方、メトディオスは、モラヴィア王国内のスラヴ教会の組織に尽力した。

当時、キリスト教会では、3つの言語が使用されていた。すなわち、旧約聖書を記したヘブライ語、新約聖書を記したギリシャ語、ローマ帝国内での布教に用いられたラテン語であり、これは教義より権威づけられていたので、スラヴ語による布教や典礼が行われたことは画期的だった。

870年、ロスチスラフは東フランク王国と結んだ甥のスヴァトプルクに離反され失脚する。スヴァトプルクは王国の黄金時代を築くが、王の庇護を失ったスラヴ系教会は既存のフランク系教会と対立し、最終的に追放されることになる。

894年にスヴァトプルクが亡くなると王国は衰退し、その後のマジャール人の侵入により10世紀前半に滅亡した。


***

作曲経緯をみると、ヤナーチェクがとりわけこの古代スラヴ語に拘っていたことが伺える。彼は、この作品をミサ曲というより、むしろ民族カンタータとして書いたといってよいだろう。宗教曲というには破天荒で、とにかく独特な響きの作品である。大阪にて作曲者と演奏者の熱いスラヴ魂を聴いていただければ幸いである。

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