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ヤナーチェク、ベートーヴェンを語る

今年は何と言ってもベートーヴェン・イヤーで改めて大作曲家の功績が評価されていました。1980年代位にレコ芸でベートーヴェンの運命交響曲をどう思うか複数の芸術家(音楽家、画家、文学者)に問うアンケートがあった時にはほとんどが否定的な反応ばかりで驚いた覚えがあります。曰く、「押しつけがましく不快だ」「耳をふさぎたくなる」等々。

ヤナーチェクもベートーヴェン嫌いの心情を吐露したコメントを残しています。これは1927年(没年の前年)、ベートーヴェン没後100周年を記念したシンポジウムにおいて、ベートーヴェンが現代音楽に与えた影響についてドイツの文芸誌が当時の作曲家(クシェネック、ヴァイル、ラヴェル、オーリックなど)にコメントを求めた際の回答で、ほとんどが否定的なものだったといいます。ヤナーチェクは中でも最年長の現代作曲家でした。屈託なく楽聖を礼賛できるというのは、それだけ呪縛が解けたということかもしれません。以下は、Janacek's Uncollected Essays on MusicのOn Beethoven(ベートーヴェンについて)という英訳からの粗訳です。後半のくだりはヤナーチェクの音楽の本質としてよく引用されます。

*****

「25歳の時、ベートーヴェンのミサ・ソレムニスは私の指先にありました。1879年3月2日にブルノで指揮したのです(※実際には4月2日だった)。偽りなく述べるに、ベートーヴェンの作品に感動したことは一度もありませんでしたし、自分を外へ導くこともありませんでした。私を恍惚の境地に引き込んだこともありません。私はすぐに底が知れてしまいました。なによりそれらが私の魂の底に落ちてしまった。それらが広く流れていく中で私は感じたのです。天の雲とその青さを、旋律であらゆる小さな雲を照らし、あらゆる影を蹴散らす太陽を。その上に月は欲求を注いだのです。一体どうしたものか。私は雲を直接つかみ取りたい、天の青さを直接目に浴びたい、太陽の光を拳に集めたい、影に身を沈めたい、とことん泣きながら訴えたい、それら全てを直にという欲求を!
ライプツィヒ音楽院の合唱団では、私は第一バスを担当することになっていました。A.ライネッケ(※カール H. C. ライネッケ)がベートーヴェンのミサ・ソレムニスを指揮したのも1879年末のことでした。だが、私は合唱団から逃げ出し、リハーサルにも参加せず、この作品の演奏を避けていました。」(1927年3月29日 人民新聞 Lidové noviny)

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