スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

チェコ文化研究家、故関根日出男先生のこと

2017年ももう終わる。今年、自分にとって最も大きかったのは長年私淑してきた当会顧問のチェコ文化研究家、関根日出男先生が1月18日に亡くなられたことだった。先生とは昨年から、11月に日生劇場で上演されるドヴォジャークの歌劇『ルサルカ』の対訳解説書を作成していた。この本は、先生が亡くなられた後に完成し、日生劇場の公演にも間に合ったのだが、それでも「先生も草葉の蔭でお喜びでしょう」という穏やかな気分ではなく、複雑で苦い思いも残る。今まで追悼の記事を書けなかったのもそのためだ。だが何も記さずは年を越せないだろう。

関根日出男先生に初めてお会いしたのは1997年12月、東京交響楽団がヤナーチェクの歌劇『利口な女狐の物語』をセミステージ形式で上演した時だった。これがその後、2009年まで続く東響ヤナーチェク・オペラ・チクルスの皮切りだった。思えば、もう20年にもなる。1998年でこの作曲家の著作権が切れ、その後、ヤナーチェクのオペラ上演が世界的に盛んになる節目の年、インターネットを通じて知り合った音楽仲間のオフ会で、ピアニストの沢由紀子さんより紹介された。私がそれまで得てきたチェコ音楽の知識はもっぱら佐川吉男先生か関根日出男先生によるものだっただけに大変光栄で初めは緊張したが、互いにヤナーチェクについて語り合ううち旧知の仲のように打ち解けた。先生は北海道と縁が深く、若い頃、北大で医学博士を取得し、以前、私が赴任していた近隣の炭鉱街、上砂川で研修医をされていたなど道産子の私とは奇妙な縁があった。その後、その時の仲間内で日本ヤナーチェク友の会が結成された。先生には、その会の顧問となっていただいた。

当初、当会の先生との関わりは遠慮がちなものだった。なにしろアマチュア愛好家が結成した同好会には資金がなかったので、大御所である先生に軽々に原稿を依頼する訳にもいかないと思っていた。しかし、そんな懸念は全く無用だった。先生は、長年積み重ねてきた研究の成果を公にして残されることを強く望んでおられた。いつしか当会は「関根先生を囲む会」のようになり、先生の著作を軸にヤナーチェクのオペラ・声楽作品の対訳解説書を国内の上演機会に合わせて刊行していった。結局、当会はヤナーチェクの全てのオペラ・声楽作品の対訳解説書を完成することができた。

ヤナーチェクとマルチヌーは先生が特に傾倒し、我が国への紹介に力を入れた作曲家だった。先生は常々「ヤナーチェクの本領はオペラ。ヤナーチェクを深く理解するにはチェコ語の知識が必須だよ。」とおっしゃっていた。

ヤナーチェクのオペラ作品のほとんどは作曲家自身が作成した台本によっているが、決まった型に嵌まることを何より嫌った彼の文章は音楽同様に癖が強いため、その翻訳は容易でない。先生の翻訳は、語学的な正確さだけではなく、チェコの文化・歴史に対する深く幅広い理解に基づき、原作から楽譜に至るまで徹底的に読み込んだ上のものだ。分かりにくい言葉や慣用句に丁寧な注釈を付け、意味を補完し、繰り返しの多い台詞を適宜整理して、実用的な対訳にしている。これだけの内容の対訳解説は世界的にも稀だろう。

先生は、今のように海外情報を得るのが容易ではない時代から精力的に日本にチェコの文化を紹介された。雑誌の記事からコンサート、レコードの解説まで、チェコ音楽に関する日本語情報の多くは先生によるものだった。先生は共産主義時代から何度もチェコに渡り、現地で上演を観て、膨大な資料を蒐集するとともに、多くの方と知り合い貴重な情報を得たという。先生がチェコ語を学び始めた頃は、まだチェコ語日本語の辞書すらなく、ロシア語を学びチェコ語ロシア語の辞書を使われたそうだ。

先生のチェコ音楽に賭ける情熱、旺盛な知識欲は常人を超えたもので、その記憶力にはいつも驚かされた。その該博な知識はチェコ文化に留まるものではなく現代音楽から民俗音楽まで幅広く、文学・美術にも詳しかった。在野の研究者として強い自負心をお持ちだったが、それでいて権威的な態度とは全く無縁だった。むしろそういうものに対し抵抗感をお持ちだった。なので、あれだけの学識と実績をお持ちなのに威張ったり自慢したりするのを見たことがない。謙虚な人柄というより大き過ぎる知的興味の前に面倒な自意識を構う暇がないといった風だった。良い意味、淡白で温厚な人柄、関心を共有出来る相手には誰であろうと惜しみなく知識を分け与えていた。美意識は高く、趣味の好悪は明確だったが、価値観を他人に押し付けるようなところはなかった。そういうオープンな精神が緩くフラットな愛好家ベースの当会と上手く噛み合った。また、ご高齢にも関わらずパソコンやネットワーク技術にも柔軟に対応し、メールやウェブは無論、楽譜作成ソフトまで駆使していた。おかげで札幌在住の私とも遠隔で円滑に共同作業ができた。それなしでは本作りなど到底かなわなかった。先生の仕事を当会で形にして世に出せたのはお互いに幸福な縁だった。関根先生の下には学識と人柄を頼りにチェコ音楽に関わる演奏家、研究家、愛好家が集まっていたため、先生を通じて交友が広がったのも有難かった。

先生は晩年、かなり死を意識されていたように思う。だが、死への怖れより残された時間を活かし成果を残せるかに賭けていたのだと思う。特に2015年12月に刊行した『イェヌーファ』対訳解説書の増補改訂版の編集作業では鬼気迫るものを感じた。『イェヌーファ』対訳解説書は当会が最初に刊行したもので、在庫が切れたため当初は初版のまま増刷するつもりだったが、先生の強い希望で全面改訂し原稿を大幅に加えることにしたのだった。この際は、精神的に異様なほど高揚して夜を徹して執筆にあたり、「蝋燭の灯が最後に明るくなるようなものだよ。ヤナーチェクのように。」とおっしゃっていた。本当にハラハラしたものだ。その頃から先生は、自分が蒐集した本やCDを精力的に整理し手放していた。

先生と最後にお会いしたのは、2016年11月に開催された中島良史先生の企画によるオール・ヤナーチェク・プログラム公演だった。久しぶりにお会いした先生は、随分と痩せ細り顔色も優れず肉体的衰えが一目で分かる一方、精神的な衰えは全く感じさせず眼は爛々とし、どこか突き抜けた高僧のようであった。演奏機会が少ないヤナーチェクの女声合唱曲「フラッチャニの歌」を聴きとても喜んでおられたのを思い出す。先生は身体の衰えと共に気分に浮き沈みがあったようだが、この時には「人生の意味は、得ることよりも与えることなのだね。」としみじみおっしゃっていた。人生論のようなことをあまり語らない方だったので、この短い吐露は深く印象に残っている。

その頃、私は先生と既に『ルサルカ』の対訳解説書を編集作業をしていた。既に先生はメールで何度か体調不良を訴えられていたので、いつ何があってもおかしくないという覚悟はしていた。ただもう何があっても先生のお好きにしていただく方が幸せだろうとも思っていた。それでも散歩がてらに図書館へ通い毎日数冊本を読んでいるとか、ハプスブルク史に関する独語文献を調べているとか、トルコ語を学び始めたとかいう近況を伺うとまだまだ気力十分で大丈夫と安心していた。5月にムハの大作「スラヴ叙事詩」が来日するまで、11月の日生劇場公演までは絶対に持つだろうと奇妙に信じ切っていた。そして1月18日、雪降る中での通勤途上、奥様から電話で訃報を伝えられた時にはしばし呆然とした。前日ベットから落ち、骨折で搬送された先の病院で末期の肺癌が見つかり、そのまま集中治療室に入ったが間もなく亡くなったという。

その後、当会会員は無論、関根先生を慕うチェコ音楽仲間たちと共に『ルサルカ』対訳解説書の編集を行った。先生が亡くなった後の作業は困難だったが、なんとか最後の仕事を完結した。今は大きな荷を降ろした安堵感と同時に、先生の生前に完成できなかったことには悔いが残る。いかんせん私には学識や情熱が先生には遥か及ばなかった。

先生とのお付き合いは約20年に及ぶものだったが、長くも短くも感じる。これは、たまたま国内でヤナーチェクのオペラ上演が相次いだ期間だった。実生活ではまず接点がなかったはずの交友なので不思議な巡り合わせというよりない。この出会いが数年ずれていただけでヤナーチェクのオペラ声楽全作品の対訳解説書刊行などできなかった。奇しくもヤナーチェクに始まり、ヤナーチェクに終わる出会いとなってしまった。また、ごく個人的なことだが、先生の本業は耳鼻科の開業医だったので、私を長年悩ませていた先天的な鼻の不調にも有効な助言を下さり、大いに救われた。

当たり前だが人は死んでいく。偉業を成し遂げた個人でも生前築いたものの多くは散逸し残るものはごく一部だ。先生は生前、多くの資料や書き溜めた文書のファイルを収めたUSBを私に預けて下さった。正直、私の力では手に余るものだが、今後はこれらを無駄にしないよう私なりに微力を尽くしていきたい。 


関根訃報
チェコの高級紙Lidové noviny(2017/1/24)に掲載された関根日出男先生の訃報。「日本におけるチェコ文化の友、死す」とある。ノーベル賞文学者、ヤロスラフ・サイフェルトとの貴重な1枚が掲載されている。
スポンサーサイト

【書評】ピアニスト フランソワの〈粋〉を聴く(舩倉武一 著)

当会会員の舩倉武一氏が、今年生誕90年を迎えるフランスの名ピアニスト、サンソン・フランソワ(1924‐70)に関する本を上梓された。舩倉氏は、音楽への造詣が深く、とりわけフランソワとクーベリックに傾倒されており、これまでも音楽批評サイトAn die Musikや当会会報にしばしば寄稿されている大変に筆の立つ方である。


ピアニスト フランソワの〈粋〉を聴く
舩倉 武一 著
アルファベータ ¥ 1,728

フランソワ本

フランソワは私も好きだが、なかなか一概に評価することが難しいピアニストである。薫り高いフレンチピアニズムを体現する真正の天才である一方、その演奏は時に恣意的で不安定である。

この本は、フランソワの客観的な評伝でも研究書でもない。この天才ピアニストと主に録音を通じて長年付き合ってきた一ファンが、個人的な印象と思索を綴ったものだ。その想いは熱いが、ファンゆえの贔屓の引き倒しには陥らず、フランソワの弱点も含め、彼のピアニズムの全体像を捉えようとする姿勢がよい。

舩倉氏は、アマチュアのピアニストであり、専門的な音楽理論も学び、語学も堪能な方である。そんな彼が、愛情をもってフランソワの人生の軌跡をたどり、残された録音の一枚一枚、一曲一曲について聴き込み、考え、想う。愛好家個人の趣味を前面に出しながら、こうして起伏も含めて広く面的に捉えられたフランソワ像が、職業評論家のスポット的な評価と異なってくるのはむしろ興味深い。フランソワのディスコグラフィの中でも特に世評が高い代表盤が、舩倉氏からすると、彼らしい個性を抑えたものとして物足りなく思われる一方、演奏者会心のピアニズムとして舩倉氏が偏愛する録音は、評論家の評価が低い場合もある。

注目すべきはフランソワの私生活や、コルトーの後継たるべき看板として売り込んだEMIの思惑等、周囲の状況も考慮し、彼の演奏歴を3期に分けたことである。これは今後フランソワを語る上で基準となる区分だろう。

 要するに、フランソワの活動時期を、病気の前後で分類すると、
 第一期(1959年2月まで)は、フランソワがまさに本能的な魅力を発散した時期。したがって非常に勢いがあるが、彼のピアニズムが嫌いな方には、鼻につく演奏が多い時期。
 第二期(1959年~1969年初頭)は、フランソワの演奏にムラが生じ始めた時期で、雑な演奏やインスピレーションの不足した録音も散見される時期。ただし、ステレオ録音期に入ったため、後世に残る名演も同時に生まれた時期。
 第三期(1969年~没年)は、身体の自由が効かないにもかかわらず、足跡を残そうとする努力や苦労が、残された録音からも聴き取れ、涙ぐましい反面、体調の優れたときや技巧的な問題が生じない曲などでは、神がかり的な名演を残した時期。
(P117)


フランソワは生きていれば90歳で、メナヘム・プレスラー(1923-)とほぼ同い年だ。キャリアが短かったので随分と昔の人のように思えるが、残された録音も多く、まだまだ一般には知られていない多面的な魅力があるように思われる。

音楽について語るスタイルには様々なものがある。この本の美点は、愛好家として率直に「地図」を示したことだと思う。この本を読めば誰でも、舩倉氏による「地図」を頼りに豊かなピアニズムの世界に分け入ってみたいと思うだろう。次回は是非クーベリックの本を期待したい。

きゃりーぱみゅぱみゅは、なぜ楽しいか?

KPP1.jpg

年明けから、きゃりーぱみゅぱみゅ(以下、KPP)に、はまっている。ここで扱う話題としては不適当かもしれないが、既に方々でカミングアウトしているのでいいだろう。いい齢をしてと笑われそうだが、ファンなのだから仕方がない。

きっかけは、旭日旗をあしらったKPPの年賀画像が韓国で批判を浴びたというニュースで、いくら韓国が反日でもKPPにまで難癖をつけるとはと可笑しかったからだ。問題となった画像にも笑った。そこでYouTubeでPVを観てみて驚いた。例えば海外でもブレイクしたPONPONPON(現在のアクセス数は4641万!)。CGで顔がグニャグニャに変形したり、口から目玉を吐き出すなど、女性スターとは思えない大胆な映像で、チェコのシュールレアリスト、ヤン・シュワンクマイエルの作品を思い起こさせた。



それまでは、原宿出身の不思議ちゃん系のアイドルが流行っているという位の印象しかなかったのだが、いろいろネットで映像を漁ってみると実にユニークで楽しく、アイドルという枠を超えたポップ・アイコンだと見直した。J-POPにはまるで疎いクラオタ親父の心まで鷲掴みである。一体なぜだろう。

思うにKPPはディズニーランドのようなものなのだろう。好き嫌いに関わらず、あそこのアトラクションの完成度の高さは誰でも認めざる得ないだろう。彼女の魅力は原宿のKawaiiを主題にしたテーマパークのようなもので、音楽、衣装、美術、振り付けなど各要素がよく作り込まれ、総合的にうまく纏まっている。

このKPPランドは、ディズニーがミッキーマウスをシンボルにしているように、彼女をシンボルにし、その個性とセンスを軸にしている。その周りに、音楽の中田ヤスタカ、衣装の飯嶋久美子、美術の増田セバスチャン、映像の田向潤、ジャケットデザインのスティーブ・ナカムラ等、一級の才人が結集し、コラボ・プロジェクトのようになっている。その上で童顔のKPPがデフォルメされた少女性を演じると何だか歌舞伎のようなワクワク感がある。少女性が商品化されると、ペドフィリアめいた「萌え」に堕して下品になってしまいがちだが、KPPはKawaiiにグロテスクな要素やコミカルな要素を加えて、男共の陳腐な劣情を裏切ってしまう("pretty bizarre" と評した海外のコメントがあった。)。KPPの水着グラビアなど想像もつかないだろう。その人を食った強かさがとても痛快に思える。



KPP2
先日はKPPの武道館ライブ(2012.11)のDVDを観て感心した。PVの密度に比べ、ライヴだとスカスカになってしまうのではと懸念したが、予想を大きく裏切り、よく練られたショウだった。このDVDはカメラワークも良く、映像作品としても優れている。「飛び出す絵本のサーカス」というコンセプトなのだそうだが、劇場的に心躍る要素がうまく盛られていて、進行に無駄がない。驚くべきは、KPPが1万人の観客を相手に一人で舞台を見事に仕切っていることだ。彼女はちょっと前まで素人の高校生だったのだが。また「きゃりーキッズ」と呼ばれるオーディションで選ばれた子供のバックダンサーが実に巧く、バロックオペラのような華やかな舞台効果を生んでいた。

興味深いのは、KPPが韓国のような国家ぐるみのプロモートなどなくても海外で熱狂的に支持されていることだ。YouTubeにアップされたPVには海外からのコメントの方が多いくらいだ。クールジャパンを売り込めなどとよく言われるが、基本的なプラットフォームさえ整っていればコンテンツの質次第で、こうして爆発的に拡散していくものなのだろう。この人気を評論家が、原宿のサブカルチャーが海外で受けていると解説するのは、間違いではないがちょっと違う気がする。


***

てなことを、娘に聞かせると「クラオタのオヤジはすぐに語り出して痛いねぇ」と言われるのだが。

追記:
この記事をアップした後、娘と札幌ライヴに行ってきた。娘の付き添いのような顔をして。このライヴの中で、KPPは、大のディズニー好きで、ディズニーランドのようなテーマパーク風の世界観を通して人々に夢を与えたいと語っていた。これは私の印象と重なっていてちょっと驚いた。当日の衣装は、ピーターパンのウェンディによるものだった。

テーマ : 女性アーティスト
ジャンル : 音楽

書評:『カフカと“民族”音楽 』(池田あいの著)

kafka


カフカと“民族”音楽
池田 あいの (著)
水声社 3,675円

チェコに生まれたユダヤ系ドイツ人のカフカにとって、“民族”とは何を意味していたのか。激動の19世紀末プラハを舞台に、友人ブロートや作曲家ヤナーチェクとの関係を検証しつつ、“小説”と翻訳、そして“音楽”のアイデンティティを問いかける新たなる視座。

カフカ~ブロート~ヤナーチェクの連関から、チェコにおける民族と音楽と言語を論じる興味深い本だった。

ヤナーチェクが生きたのは、各々の民族が言語と文化を拠り所にナショナリズムを主張した時代だった。彼も、当時、後進的と見られていたチェコ人の存在を文化面でアピールするためチェコ語でオペラを作曲した。しかし、「小民族」の言語であるチェコ語には、ドイツ語のようなメジャー言語への翻訳抜きに国際的なアピールができないというジレンマがあった。そのため翻訳という行為自体が、政治的な意味合いを帯びずにはいられなかった。この悩みに対し、ナショナリズムの風潮の中で疎外され、自らの母語と文化に不確かな感覚を抱くユダヤ人が、その仲介の役割を果たしたというのが面白い。

外向的なブロートはシオニズム運動等で積極的に活動を展開していくが、虚弱なカフカは内向し身体的なものに興味が向く。ブロートは、イスラエルへ移住後、チェコ音楽をモデルにして国民音楽の確立を模索していたという。一方、カフカは、ユダヤ以外の要素も雑種的に取り入れたイディッシュ劇に傾倒する。

カフカの文学仲間の内では彼だけが「非音楽的」だった。しかし、彼は「音楽」に多言語的な環境でも侵されない本質的なものというような特別なイメージを抱いていて、しばしばそのような意味でこの言葉を使っていたらしい。それが晩年の短編「歌姫ヨゼフィーネ、あるいはネズミ族」に繋がっていく。カフカは奇妙なくらい謙虚な性格だったから、「音楽」について書き、言葉で誤訳することに抵抗があったのかもしれない。

カフカとブロートの間には翻訳に対する考え方にもズレがある。これについて、ブロートが作成した『イェヌーファ』の台本のドイツ語訳(※当会会報、”『イェヌーファ』のマックス・ブロート訳をめぐって”参照)に対するカフカの批判が取り上げられており、示唆に富む論だった。カフカはブロート訳が不自然で創作的であると批判していた。その一方でカフカが評価していた翻訳として、恋人だったミレナ・イェセンスカによる『火夫』のチェコ語やイディッシュ劇の俳優イツァーク・レヴィのドイツ語があげられている。カフカはブロート訳について「巨人のような Riesenmensch」と評しているが、レヴィの不完全なドイツ語の修正については「繊細な手がいる」と書いている。私は今まで、この「巨人のような」という表現が理解できなかったのだが、つまりカフカから見るとブロート訳は「繊細な手」とはかけ離れた「巨人のような」手によるもので、いささか荒っぽく強引に思えたのだろう。このようにカフカ独特の言い回しは、彼のイメージの傾向を理解しないと必要以上に謎めいたものになってしまうようだ。

著者の池田あいの氏は1977年生まれの気鋭のドイツ・オーストリア文学研究者で、有難いことに参考図書として当会出版物も掲載下さっている。「クレンペル(クレンペラー)」などと表記しているので、クラシック音楽好きではないようだが、背景となる知識について丁寧に解説されており、詳細な注釈が付されていて、私のような一般の読者にも読みやすく刺激的な論考だった。

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

書評:『複数形のプラハ』(阿部賢一著)

プラハという都市については既に多くの本が書かれてきたが、ここに魅力的な一冊が加わった。

複数形のプラハ

複数形のプラハ
阿部 賢一著
人文書院 ¥ 2,940

都市、それは多様な要素が共存する空間であり、それは一種のコラージュともいえる。
カフェ、広場、ショーウインドーといった様々な場所、複数の言語、様々な出自をもつ芸術家の目を通して浮かびあがる都市プラハの複数性と多層性。オーストリア=ハンガリー帝国の「地方都市」からチェコスロヴァキアの「首都」となった都市空間「プラハ」の深層を解読する。


縁の芸術家を介してプラハが語られる場合、もっぱらカフカが取り上げられてきたが、本書の人選はもう一捻りある。作家のリルケ、画家のムハ(ミュシャ)、写真家のズデク、そして作曲家のヤナーチェクはともかく、キュビストのクビシュタ、「チェコのカフカ」ヴァイネル、シュルレアリスム写真のシュテルスキーの名前は、チェコ愛好家にすら初耳だろう。

ここで取り上げられた芸術家はいずれも自身に「複数形」を持ち、それによる捻れを抱えている。そして、それらがプラハの多層性を浮かび上がらせていく。どの章にも鮮やかな論考が散りばめられていて無類に面白い。

例えば、故郷プラハをチェコ人の側に立って表出したドイツ系住民のリルケ。
ドイツ嫌いの反動から親フランス傾向が強かったプラハで「アールヌーヴォーの華」として人気を博しながら、自身はスラヴ主義者だったムハ。
チェコの作曲家として認められることを望んだが、モラヴィアの作曲家として扱われたヤナーチェク。
ピカソのような前衛性よりもゴシック、バロックの精神の表現としてキュビスムを選択したクビシュタ。
光と影により、「空想」と「現実」、「絵画」と「写真」という二項対立から逃れ、両者を共存させた独自の世界を作ったスデク、等。

ヤナーチェクに関しては、あまりにもプラハ的なオペラ、『ブロウチェク氏の旅』について述べられている。

だがさらに進めて考えると、ヤナーチェクのオペラは、特定の時代に対する政治的なテーマに限定されない、様々なメッセージを投げかけている。それは「言葉」というものが空間的、時間的な広がりの中で醸成されるものであり、けっして「単一」なものとして規定されえないということである。第一部では、月の住民が話す言葉は東ボヘミア方言としての地域偏差を、第二部では十五世紀の古チェコ語の使用によって、歴史的な変化の相を浮かび上がらせている。そのような差異があるなかで、私たちは何と、誰と自分を同一視できるのかという普遍的な問いかけを、ヤナーチェクは20世紀初頭のプラハというローカルな場から投げかけているのである。
(〈モラヴィア〉の作曲家の眼差し p130より)


このオペラで、陳腐な詩を得意気に朗読する月世界の詩人(雲の化身)は、ヤナーチェクの仇敵ズデニェク・ネイェドリーを揶揄したものという指摘は興味深かった。ヤナーチェク版のベックメッサーか。

チェコ関連の本は、その歴史や文化に馴染みがない方には少々わかりにくいものもあるが、本書はガイドブック的な基礎知識を文脈を沿って要領よく盛り込んでいて親切だった。特にプラハ城や聖ヴィート教会、プラハ市民会館等、この街を観光する者なら必ず訪れる「名所」についての記述を読むと、本書を片手にこの街を訪れ、自ら「複数形」を探索したくなるだろう。

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

プロフィール

Pilsner

Author:Pilsner
発話旋律 "Speech Melody"
日本ヤナーチェク友の会公式サイト管理人Pilsnerのブログ
チェコ音楽を中心にした音楽雑記帳です。
The blog by the chief manager of Janáček Association Japan
http://twitter.com/#!/janacekjapan

カレンダー
06 | 2018/07 | 08
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
最新記事
カテゴリ
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

Visitors
月別アーカイブ
検索フォーム
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。